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なぜ、「イン・ベッド」なのか
豊田市美術館 学芸担当専門監
青木正弘

 人間は生まれてから死を迎えるまで、色々な家具に囲まれて生活する。ベッドはそれらのなかにあって、人間が生涯を通して最も長い時間かかわる家具といえるだろう(尤も文化圏の違いで、それは布団であり、ハンモックでもあるのだが)。

 『寝台』とよぶように、ベッドは文字通り身体を横たえて寝るための道具である。その意味においてベッドは、人間の一日の活動の起点であり、終点でもある。「今朝、何時に起きた?」、あるいは「昨日、何時に寝たの?」、我々が日常的に交わすこれらの言葉の背後にベッドは静かに存在している。

 しかし、あなたもご存知のように、人間の身体の重みを黙って支える4本足のこの家具は、決して疲れを休め、眠るためだけのものではない。誕生と死、安らぎと病、眠りと夢、そして性愛と快楽。ベッドは生と性にまつわる肉体的、精神的な営みの場であり、喜怒哀楽の場なのである。
 
 同床異夢とは、起居をともにしていながら別々のことを考えていることを表す言葉であるが、それどころか人間は、一つのベッドで身体を重ねながら、時として互いに異なった第三者をイメージしつつ目の前の相手を抱き、また抱かれることができるという、賢くも不謹慎でやっかいな高等生物なのである。

 かように皮膚一枚を隔てた自己と他者の距離は絶望的に遠く、時として信じがたく近い。人の心は常にこの距離の間で悲しみ、苦しみ、そして喜ぶのである。敢えて言葉にすれば、残念ながら人類は、反社会的、反道徳的でやっかいな因子を払拭出来ないで抱え込んだまま、しばしば根源的な衝動に翻弄され、またその衝動を内在させてきたがゆえに生き延びてきたとも言えるのではなかろうか。

 そしてまた一方で人類は、社会的、道徳的であることを理想に掲げて生きるという、矛盾の狭間に身を置く高等生物であり、創造のエネルギーはその狭間で生まれるのである。


*  *  *

  古代から現代にいたるまで、ベッドはそれぞれの時代の表現者たちにとって欠くことのできない重要なモティーフであった。
 それはベッドが、社会から閉じた個人的な場を象徴するものであり、また人目に晒されることのない秘められた場であって、そこでは人間の本質や本性があらわになり、それゆえ生き生きとした生命力が発現し、想像力が喚起されるこの上ない舞台であるからだろう。
 
 ベッドの男女が描かれた図は、古くは古代ギリシャのアッティカ陶器の壷の表面を飾る赤絵や黒絵のなかに見ることができる。
 カウチ(寝椅子)に上半身を起こして横たわり、杯を捧げ持つプルートの傍らにペルセフォーネが腰掛けている図、あるいは同じくカウチに横たわり、杯を持ったヘラクレスを慰めるアテナの図として描かれている。

 彫刻においてもほぼ同時代のエトルスクには、宴席用のカウチに夫婦と思われる一組の男女が横たわるテラコッタ彫刻《夫婦の陶棺》(ヴィッラ・ジュリア国立博物館、ローマ)がある。エトルリアしかし、ベッドにまつわる男女の表現ではあっても、その多くは主に酒宴の場の情景として描かれているのであって、男女の愛の交歓が主題となっているわけではない。

 次に古代ローマを範として人間性を主張した15世紀から16世紀のルネッサンス期の絵画に目を転じてみると、そこにはベッドと人間のかかわりを示す新しい表現を見出すことができる。
 
 15世紀中頃にプラートの大聖堂に描かれた《聖母の誕生》には、生まれたばかりのキリストを抱くマリアの後ろに大きなベッドが描かれており、少し後にピエロ・デルラ・フランチェスカがアレッツォのサン・フランチェスコ聖堂に描いたのは、槍を持つ護衛たちに護られながら、円錐形の天蓋の付いたベッドのなかで夢見て眠るコンスタンティヌス帝の姿であった。

 しかしこの時代の絵画で、後に続く近代を予感させる代表的な作品と言えば、16世紀に入って描かれたティツィアーノの《ウルビーノのヴィーナス》(1538年)の登場を待たねばならない。同時代に女性の裸体を美しく描いた作品としては、ジョルジョーネの《眠れるヴィーナス》(1510年頃)やコレッジオの《ダナエ》(1530年頃)などがある。

 しかし、《ウルビーノのヴィーナス》がこれらの作品と決定的に異なるのは、その現実感であろう。《眠れるヴィーナス》が、幻想的な自然の風景の中に天上から生まれ落ちたかのような女性の理想美を表しているのに対し、《ウルビーノのヴィーナス》は、絵を観る我々を誘うような眼差しで見つめる一人の女性が現実の部屋のベッドの上に描かれているのである。

 またそこには、《ダナエ》のように裸婦と戯れる天使はいない。ゴシック建築で有名なサン・ドニ聖堂にはフランスの王家歴代の墓所が残されていて、そこに16世紀後半につくられたアンリ2世とカトリーヌ・ド・メディチ夫妻の大理石製の墓がある。

 『トランジ』と呼ばれる死体墓像である。王の没後に注文した像が陰惨なものだったため王妃が改めてつくり直させたものであるが、これが我々の目には実に生々しく映る。ベッドに半裸で横たわる王と王妃の様子は、まさしく性愛の後の眠りを彷彿させる。

 官能と眠りと死が直線的に連関してイメージされるのである。王妃カトリーヌはどのような意図と思いをもってこの像をつくらせたのであろうか。ローマのサン・フランチェスコ・ア・リーパ聖堂の礼拝堂祭壇に、バロック彫刻の巨匠ベルニーニの祭壇彫刻《至福者ロドヴィーカ・アルベルトーニの墓》(1671-74年)がある。

 ベッドに横たわり、右の胸を押さえ、顔をのけぞらせて苦悶する死を目前にした聖女ロドヴィーカの表情は、同じくベルニーニによる《聖女テレーサの法悦》(1645-52年)の表情と重なり、官能的でさえある。
 
 近代になると神話的、宗教的な主題の拘束から開放され、ベッドと人間にかかわる絵画も自由で堂々とした表現が現われてくる。
 その筆頭に挙げられるのはスペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤの《裸のマハ》(1800年頃)と《着衣のマハ》(1800年頃)であろう。ゴヤの先達ヴェラスケスが、ベッドに横たわる女性を背後から描いた《鏡を見るヴィーナス》(1648年頃)では、いかに肉感的で現実感に満ちた裸体であろうと、やはりそれは『ヴィーナス』であり、それに向けて鏡を支え持つ天使を添えて描かねばならなかった。

 当時、仮に日の目をみなかったにせよ、ゴヤは果敢にも、当時マドリードの下町から現われ、一世を風靡した粋な女性を、裸でベッドに横たわる生き生きとした女性像として描いたのである。
 フランスの新古典主義のジャック・ルイ・ダヴィッドの《ルカミエ婦人の肖像》(1800年着手、未完成)、ドミニック・アングルの《グランド・オダリスク》(1814年)、そして印象派のマネの問題作《オランピア》(1863年)が後に続く。

 これらベッドに横たわる裸体絵画の先駆は、いうまでもなく、ティツィアーノの《ウルビーノのヴィーナス》である。肖像画全盛のこの時代はモデルにふさわしいポーズや舞台設定に画家たちは苦心した。
 肖像画にせよ風俗画にせよ、女性を美しく描く、あるいは美しい女性を描くことは、当時の画家に求められた必須の技量であった。

 ベッドの上でポーズを取るのはもっぱら女性であり、ベッドは女性の肉体を支え、かつその肉体を美しく際立たせるための装置であった。画家たちのパトロンの目が求めたものは色彩と官能美のハーモニーにほかならない。それに応えるべく、女たちは描かれるためにポーズを取り、ベッドはそのためにしつらえられたのである。

 そこに描かれた絵画空間は、ベッドの置かれた場でありながら、閉じているが如くに演出された開かれた場であったといえるだろう。
 新古典主義の彫刻家カノーヴァの《パオリーナ・ボルゲーゼ》(1805年)は、わざとらしくどことなくぎこちないポーズが一つの様式のごとくに思われる不思議な彫刻である。

 これはカウチに上半身を起こして横たわるボルゲーゼ候夫人パオリーナをモニュメンタルに表現した彼の代表作であるが、同時代の画家ダヴィッドやアングルたちと同様、ベッドには、磨き上げられた彼女の美しく理想的な肉体を支える以上の役割を担わせてはいない。

 ロマン派の画家ドラクロワの《サルダナパロスの死》(1827-28年)は、バイロンの詩に想を得たもので、古代アッシリア最後の王サルダナパロスが、栄華を極めた後、民衆の反乱に会って破滅するという場面を描いたものである。

 ベッドが描かれた絵画としては極めて特異なもので、画面中央には豪奢な赤いベッドが描かれ、その上にサルダナパロスは衣をまとったまま横たわり、寵姫や小姓たちが、自らの家臣である宦官や衛兵たちに殺される様子をじっと見つめている。
 裸の女の胸に短刀を突き刺す衛兵、死の予感に怯え、黒人奴隷に抗う王の愛馬。

 10数人の人の動きによって殺戮と混乱の様子がドラマティックに描かれている。この絵をより衝撃的なものとしているのは、ハーレムという閉じた場にあるべきベッドが理不尽なかたちとはいえ、公の場に晒されたことによるのではないだろうか。
 まさに破壊そのものである。

 また数多の表現者のなかにあって、近代と現代を繋ぎ、病と夜の不安、愛と死の恐怖という主題から、ベッドとは切っても切れない画家として、エドワルド・ムンクを忘れることはできないだろう。

                 
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 今回の展覧会「イン・ベッド」は、絵画、彫刻、写真、映像という異なった表現メディアの作品で構成した。各々のメディア固有の表現によって、ベッドと人間に関する現代の多様な観点を作家に求め、それを観客に示したかったからである。
 ベッドはそれぞれの作品のなかで見え隠れしながら主要な働きをしている。ある時は何かを象徴し、またある時は人間の心身を支える具体的な道具として姿を現わしているのである。

 出品作品の幾つかを観てみよう。河原温の〈“I Got up at…”シリーズ〉(pp. 78-79)は、たった一枚の絵葉書ながら、ベッドという個人的な場から身を起こし、社会という公の場と向き合う直前の凛とした姿勢を端的に示し、伝達する。

 I got up at“私は目覚めた”を意味する“I woke up”が精神あるいは心の状態を表わす言葉であるのに対し、“I got up”は明らかに肉体的、身体的な状態を表わす言葉である。
 
  さらに〈“I Got up at…”シリーズ〉は、河原の一日の行動を俯瞰的に示す〈“I Went…”シリーズ〉が水平性をイメージさせるのに対し、垂直性をイメージさせるのである。河原の『デート・ペインティング』と呼ばれる〈“Today”シリーズ〉や、彼の年譜が誕生日からの日数のカウントで表わされていることを合わせて考えると、彼が生きる時間を刻む単位が一年でも一月でもなく、一日、一日であることが理解できる。
 そして単位が一日であれば、創作に関する彼の思考が、イン・ベッドにかかわる主題に向けられるであろうことは容易に想像できるのである。

 またボルタンスキーの《ベッド》(pp. 44-45)は、彫刻としてつくられた具体的なベッドが、生と死にかかわる不穏な空気を感じさせてやまない。
 井田照一の《シリーズ−尿画 “共鳴画−影”》(pp. 74-75)は、彼が病院に入院している時に制作された作品であり、我々が対峙する美しい画面の向うに、ベッドに身を横たえる病気の井田がいる。

 松澤宥の《in bed》(pp. 100-101)では、ベッドが主題の背後に静かに存在しており、アルヌルフ・ライナーの絵画《ブラームスのデスマスク》(p. 120)は、死を客観的に捉え、おぞましく恐ろしい死者のマスクの表現を通して、生と死がはっきりと分断され、また死がすべての人間に平等に訪れることを、我々にはっきりと示している。

 荒木 写真荒木経惟の新婚旅行のスナップ《センチメンタルな旅》(pp.32-35)と、妻の発病から死までのスナップ《冬の旅》(pp.36-37)は、モノクローム写真が連続することで、一瞬一瞬の作者の心情を強く我々に伝えている。
 またナン・ゴールディンの《ベッドのナンとブライアン、ニューヨーク》(p. 66)を初めとする20点の写真は、彼女の身近な人々の暴力と病、生と死が日常的な視点で活写されている。

 自分自身を織り込んだ表現は、リアルで美しくやるせない。ビル・ヴィオラの《心臓の科学》(pp. 124-125)は、心臓という人の生死に直結する臓器に焦点を当てた作品である。
 拍動する心臓を映像で見せ、同時に鼓動のリズムをサウンドで聴かせることによって、生そのものを体感させる。

 我々は視覚と聴覚を通し、自分自身の鼓動と共鳴させながら、心臓が生の活動の源泉であることを納得する。スクリーンの前に設置されたベッドは心臓と対応し、「誕生、セックス、睡眠、夢、病、死」を象徴しているのである。

 ジェームズ・リー・バイヤースは1996年11月21日に来日し、26日の夜、豊田市美術館を訪れた。2泊3日を豊田市で過ごしたが、その間、美術館内を巡り、民芸館では円空仏に深い関心を示した。
 そして28日の夕刻、彼はステファン・クーラーの運転する車で伊勢から京都を経て奈良へと向かった。

 翌年の2月13日に日本を発つまでの2ヶ月半余り、クーラーと私はバイヤースがホテルを移る度に、彼の部屋を訪れた。1996年12月15日にパフォーマンスを行なった奈良ホテル、年末に移った奈良の3Mホテル、そして京都の都ホテル(現・ウェスティン都ホテル京都)の部屋である。
 当時、既にバイヤースは腹部を癌に侵されていて痩せた体躯のなかで腹だけが大きく膨らんでいた。

 冗談を言う時も、ヨーゼフ・ボイスの思い出話をする時も、彼は殆どベッドに横たわったままだった。あの体調で、いつどのようにして手に入れたのだろうか。
 どのホテルの部屋も彼が集めたもので溢れ、彼特有の金と赤と黒の色彩が満たしていた。そして、ツイン・ベッドの片方はいつも美しい小物が占めていた。

 その後、バイヤースはフランクフルトからエジプトに向かい、5月22日にカイロで客死する。今にして思えば、彼のこの日本滞在とエジプト滞在は、死が近いことを覚って決行された、精神の拠点のまさに命をかけた巡礼であったことが了解される。
 今回の展覧会では、バイヤースの作品が展示されるわけではない。

 縁あって出会った最晩年のバイヤース自身と滞在していたホテルの部屋が、イン・ベッドそのものであったと思い当たり、クーラーと私が撮ったスナップ写真を、皆さんに観て頂きたいと考えて、展示したのである。
 《ナプキン》(p.51)は、京都を離れる2月12日、都ホテルのレストランで3人で食事をした際、バイヤースが語る制作プランをクーラーと私がナプキンに書き留めたものである。

 *  *  *

 21世紀を迎え、人類は平和を希求しつつ、なお戦いは止むことがない。また豊かな社会の実現を目指しながら、そしてそれは少しずつ実現されているはずなのに、悲惨な事件は後を絶たず、自ら命を絶つ人が増え続け、心を病んで苦しむ人々が巷間に溢れる。

 ベットこの矛盾はいったい何処からやって来るものなのだろうか。人類の生命力というものは、戦うことを忘れ、平穏と安定に浸った時、生きる力を失ってしまうものなのだろうか。
現代社会のシステムは、個の解放ではなく、むしろ個を抑圧する性格を帯びてきていることも確かだろう。

 それゆえ、ベッドが象徴する個人的な空間は、我々が生き生きと生きるために、今後ますます重要な場となるだろう。そしてそれは、ある意味においてアナ−キーな場でなければならない。

 人類の叡智は、人間の理想と生命体としての本性が折り合う世界を導き出せるだろうか。今回の「イン・ベッド」は、この普遍的なテーマに対する、現代の作家たちによる人間観の提示なのである。


■「イン・ベッド【生命の美術】」 会期:2004年10月5日−12月26日

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