淺岡敬史淺岡敬史淺岡敬史淺岡敬史 麝香

 

 


淺岡敬史

 窓飾り

 ブータン土産のソーラーで回転する金ピカマニ車(転経器)、バター茶にはちょっと困ったが、この唐辛子は嬉しかったな。鑑賞用のトウガラシは時々買うけど、食用そのももを装飾できるのが気に入った。
 でも写真にするとモゾモゾ動きそうで、ちょっと気味悪いかも。

 そういえば、今年からウグイスが鳴いているな。どこから飛来したきたのだろう。

 

平成三十一年三月二十三日

 

輪郭の飾り

 


 少数民族の衣装

 大妻女子大付属博物館の図版撮りで、はっと目が坐った。
 老樹、大樹の陰でひっそり生きている東南アジアの少数民族を若いころによく撮りに通ったのが昨日のごとくだった。

 オーストラリアのアボリジニのギャラリーは、まるでミラノのミッソーニのショーウインドウだった。欧米人も習ったであろう世界の先住民族の造形センスは、偉大なアマチュアニズムであり、東南アジアの奥深い山に宿る精霊を肉体化した結果、さまざまな造形が生まれたのだろう。

 レンズ越しの 衣装の躍動感。とても興奮した3時間だった。

 

平成三十一年三月二十日

 

輪郭の飾り

 


あ

 芥川の卒論

 中国語に翻訳された拙著の「ウイリアム・モリス」の写真と文に関してオファーがあった。で、問題は先輩との雑談で出てきた芥川の卒論なのだ。なんとその主題は「ウイリアム・モリス」だったのだ。さっそく検索したが、まったくヒットしない。結論は関東大震災で卒業論文は焼失したのだった。

 モリスの資料はゴッソリあるので、芥川の興味はどのあたりにあったのか、探れそうな気もするが、ま、僕には無理だろうな。

 夏目漱石あたりに関係もしているのは予想されるが・・・・・

 若しかして女がらみだろうか。

以下の1200字を700字にリライトするのだが、時間がかかりそうだな。

 

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 デザイナー、工芸家、社会思想家、アール・ヌーボーの先駆者、そして工芸、建築の分野で世界的に影響をあたえたアーツ・アンド・クラフト運動の指導者などさまざま顔をもつウィリアム・モリス(一八三四〜九六)。 

 ロンドン郊外のウォルサムストウに生まれたモリスはオックスフォード大学に学び、審美的芸術論を展開したジョン・ラスキンの影響を受けて中世の手仕事の世界に憧れていった。  

 彼が活躍したヴィクトリア時代は、大英帝国が繁栄の絶頂にあったころ。モリスは「世界の工場」たる国策に反発、機械化された大量生産を否定し、チッピング・カムデンを中世の手技をたいせつにした職人の町として復活させた。彼の弟子たちはここに移り住み、コッツウォルズ・スクールという家具工房や鍛冶屋、印刷工場なども作った。 

 現在のチッピング・カムデンの中央通り、ハイ・ストリート沿いの家並みは、中世のたたづまいを見せており、さながらモリスの一生を描いた映画のセットのようである。   

 「芸術の主たる源泉は、日々の必要な労働のなかにある人間の喜びであり、この喜びは自らを表現し、その仕事のなかに体現されていることを、私はなお重ねて言う。ほかの何ものも公共の生活環境を美化できないし、そうした環境が美しい時はかならず、それは、人間の労働がそのなかに喜びを持っていることの証しなのである。

  ……それらが醜くした地球の美に対する侮辱なのだが、我々の町や住居がむさくるしく忌まわしいのは、そして生活のすべての付属品が見劣りし、陳腐で、そして醜くいのは、日々の労働において、こうした喜びが欠けているからである。

 ……膨大な芸術をその手によって生み出さねばならない労働者たちは、生きるための商業システムによって支配され、最善の場合でさえも、すべての美的感受性と生活の喜びを失うことなしにはその健康を保てない、誰もが住みえないようなごみごみした醜い場所に住まわせられている……このような醜悪さのただなかに生活する人々には、人を認識することはできないし、その結果、それを表現することができない」(一八八五年発表『芸術における労働者の役割』) とモリスは述べているが、この精神と魂は、膨大な量を消費し、環境破壊にあけくれる現代への一〇〇年前に発したメッセージでもあった。  

 この論文にさきがけモリスはバーン・ジョーンズ──ラファエル前派の画家で神秘主義的傾向が強い画家。ロンドンのテート・ギャラリーに展示されている『黄金の階段』は代表作──らと協力しあい一八六一年に「モリス・マーシャル・フォークナー商会」(一八七四年に単独のモリス商会となる)を設立した。  

 陶板、壁紙、織物、家具、什器、装幀、ステンド・グラスなどを職人と芸術家の同時の視点で精力的の製作。  

 陶磁器をはじめ世界の工芸品の宝庫であるヴィクトリア&アルバート美術館に復元展示されている『緑の食堂』は、一八六七年に「モリス商会」が手がけた彼の精髄、魂であった。

 

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平成三十一年二月二十日

 

輪郭の飾り

 

 

あ

 イタリアのオヤジ。

 コンシェルジュは日本でいう番頭さん。彼らの目玉には高性能の魚眼、標準、望遠レンズが内蔵されている。音声にいたっては独自の集音マイクも標準装備で身体そのものが1万テラバイトもの情報を蓄積しているのだろう。
 名番頭とは、職人の極めつけなのである。

 そんな彼らの日常を某誌に綴っているが、学ぶべきものは無限にある。「私に不可能はありません。」が口癖のようなフランス国境に近いマルガリータのオヤジさまだった。

 それにしてもイタリアのオヤジたちって、どんな田舎でもカッコいいんだよな。


平成三十一年二月九日

 

あ

 薄氷。

 「薄氷の上を綱渡り。」
 手鏡で自分を写しつつ、月と薄氷にレンズを向けた。猛進、盲進、妄信のド真ん中で、妙に安らぎがあるから不思議だ。フィクションの裡に、極めつけのノンフィクションが在りそうなのは、若い頃から実感していたが、節分会を終えた今日、モニターを眺めながら再確認した。

 「綱渡り」も、興味深い主題だな。

平成三十一年二月五日


あ

 金田一京助のお孫さんを撮った。

『「汚い」日本語講座』新潮新書、『日本語大好き キンダイチ先生、言葉の達人に会いに行く』文藝春秋 が愛読書だったな。

 で、お孫さんの名言・迷言

 「用件を伝えたい時でもいきなり核心から話し始めない。」

 「敬語は「こういうシーンでこの言葉を使えば正しい」なんて言えない。いくら正しい敬語を使っても、腹が立つ相手はいる。逆に敬語が多少間違っていても、敬う気持ちが伝わるときはあるんです。」

「人には承認欲求がある。しかし、いつも承認されているポイントには慣れてしまう。「そこに注目してくれたんだ!?」と意外な長所を褒めよう。」

「「空気を読む」のが得意な日本人同士なら、あえてムスッと黙る方が効果を発揮することも多い。」

 などなど、ごっそりあるのだ。


平成三十一年一月三十一日

 

輪郭の飾り

 


 ビンテージ ワイン。

 まず最初に、汗笑)「1950」とクッキリと。うん、オイラのビンテージ ワインなのだ。
 心に染みる色とは、この藍をいうのだろうか。ポルトガルでよく見かける白地に藍の装飾タイルの撮影で何度も通った。

 修道院や宮殿、城郭や要塞跡など国の重要文化財の内部を人が快適に暮らせるよう改装改築し、近代的なホテルとして再生したのが国営ホテルチェーンのポサーダ(写真は「ポサーダ・サンタ・イザベラ」)だが、その支配人に誘われて撮影に伺ったワインハウスのオーナーと意気投合。ご褒美に戴いたのが、ビンテージ ワインなのである。
 
 オリンピックの年には七十歳になっちゃうし、誰かの金メダル祝いにでも抜栓しようかな。当地のド演歌ファドを聴きたくなったので、探してみよう。

平成三十一年一月十二日

 

輪郭の飾り

 

 


 「喰いもの」を、チトと考えた。

 東西の名シェフでも及ばないであろう、「喰い物」を撮った。
 食道、胃袋、肛門へとの通過課程での訴求力は、当たり前だが人間、動物、生物として「快感」だったのだ、という妄想の年明けだった。
 「空」「無」など毎朝寺で絶叫してるが、まさに空しい限りだな。

 それにして、黒米のおにぎりと山椒のマリアージュは絶品だったな。

 (何をアピールしたのか、よくわからん綴りだな。)

平成三十一年一月七日

 

輪郭の飾り

 


 「困惑の男性美」かぁ。

 「正義の闘いができない・・・論的矛盾・・・基本的情念は困惑そのものなのである。」ある任侠映画の批評の中のあまりにも簡素で精妙な世界に誇る日本の知的表現だが、うーん、日常に隠れながらゴロゴロしている心理でもあるな。
 でも「男性美」とはオイラとは無縁だな。汗笑)

 1月2日未明は、有明の月(月齢26)と明星が大接近する日だ。我が家では午前5時、寺の境内では5時30分、6時と撮った。空が暗い午前5時の写真は、どうみても合成写真っぽいから不思議だ。

平成三十一年一月二日

 

輪郭の飾り

 

 


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