淺岡敬史淺岡敬史淺岡敬史淺岡敬史 麝香

 

 

あ

 イタリアのオヤジ。

 コンシェルジュは日本でいう番頭さん。彼らの目玉には高性能の魚眼、標準、望遠レンズが内蔵されている。音声にいたっては独自の集音マイクも標準装備で身体そのものが1万テラバイトもの情報を蓄積しているのだろう。
 名番頭とは、職人の極めつけなのである。

 そんな彼らの日常を某誌に綴っているが、学ぶべきものは無限にある。「私に不可能はありません。」が口癖のようなフランス国境に近いマルガリータのオヤジさまだった。

 それにしてもイタリアのオヤジたちって、どんな田舎でもカッコいいんだよな。


平成三十一年二月九日

 

あ

 薄氷。

 「薄氷の上を綱渡り。」
 手鏡で自分を写しつつ、月と薄氷にレンズを向けた。猛進、盲進、妄信のド真ん中で、妙に安らぎがあるから不思議だ。フィクションの裡に、極めつけのノンフィクションが在りそうなのは、若い頃から実感していたが、節分会を終えた今日、モニターを眺めながら再確認した。

 「綱渡り」も、興味深い主題だな。

平成三十一年二月五日


あ

 金田一京助のお孫さんを撮った。

『「汚い」日本語講座』新潮新書、『日本語大好き キンダイチ先生、言葉の達人に会いに行く』文藝春秋 が愛読書だったな。

 で、お孫さんの名言・迷言

 「用件を伝えたい時でもいきなり核心から話し始めない。」

 「敬語は「こういうシーンでこの言葉を使えば正しい」なんて言えない。いくら正しい敬語を使っても、腹が立つ相手はいる。逆に敬語が多少間違っていても、敬う気持ちが伝わるときはあるんです。」

「人には承認欲求がある。しかし、いつも承認されているポイントには慣れてしまう。「そこに注目してくれたんだ!?」と意外な長所を褒めよう。」

「「空気を読む」のが得意な日本人同士なら、あえてムスッと黙る方が効果を発揮することも多い。」

 などなど、ごっそりあるのだ。


平成三十一年一月三十一日

 

輪郭の飾り

 


 ビンテージ ワイン。

 まず最初に、汗笑)「1950」とクッキリと。うん、オイラのビンテージ ワインなのだ。
 心に染みる色とは、この藍をいうのだろうか。ポルトガルでよく見かける白地に藍の装飾タイルの撮影で何度も通った。

 修道院や宮殿、城郭や要塞跡など国の重要文化財の内部を人が快適に暮らせるよう改装改築し、近代的なホテルとして再生したのが国営ホテルチェーンのポサーダ(写真は「ポサーダ・サンタ・イザベラ」)だが、その支配人に誘われて撮影に伺ったワインハウスのオーナーと意気投合。ご褒美に戴いたのが、ビンテージ ワインなのである。
 
 オリンピックの年には七十歳になっちゃうし、誰かの金メダル祝いにでも抜栓しようかな。当地のド演歌ファドを聴きたくなったので、探してみよう。

平成三十一年一月十二日

 

輪郭の飾り

 

 


 「喰いもの」を、チトと考えた。

 東西の名シェフでも及ばないであろう、「喰い物」を撮った。
 食道、胃袋、肛門へとの通過課程での訴求力は、当たり前だが人間、動物、生物として「快感」だったのだ、という妄想の年明けだった。
 「空」「無」など毎朝寺で絶叫してるが、まさに空しい限りだな。

 それにして、黒米のおにぎりと山椒のマリアージュは絶品だったな。

 (何をアピールしたのか、よくわからん綴りだな。)

平成三十一年一月七日

 

輪郭の飾り

 


 「困惑の男性美」かぁ。

 「正義の闘いができない・・・論的矛盾・・・基本的情念は困惑そのものなのである。」ある任侠映画の批評の中のあまりにも簡素で精妙な世界に誇る日本の知的表現だが、うーん、日常に隠れながらゴロゴロしている心理でもあるな。
 でも「男性美」とはオイラとは無縁だな。汗笑)

 1月2日未明は、有明の月(月齢26)と明星が大接近する日だ。我が家では午前5時、寺の境内では5時30分、6時と撮った。空が暗い午前5時の写真は、どうみても合成写真っぽいから不思議だ。

平成三十一年一月二日

 

輪郭の飾り

 

 


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