第九話  食はブラッスリーに在り
FRANCE

 

シャルロのムッシュ
TEXT : COUCOU

 

 パリ訪問に欠かせないものを一つ挙げるとしたら、それは活気溢れるブラッスリーではないだろうか。世界中からやってくる観光客と、テキパキと仕事をこなすギャルソン、そして街が作り出す独特の雰囲気は、日本だけでなくパリ以外のフランスでも見ることができないからだ。
 日本にいても本場フランスに負けない立派な味を楽しめる今日、何時間もかけてせっかくパリへ行くのだから、ミシュランの星を取得した一流レストランよりも、ぶらりと入れるブラッスリーの魅力にどっぷりと浸かってみたい。

 市内に16軒のブラッスリーをもつレ・フレール・ブラン Les Fr俊es Blanc グループは、フランスでも1、2を争うくらいの大規模な組織。各店の知名度は国内外でも高く、パリの「食」を語るのに欠かせないところばかりだ。
 今回のパリ訪問で、街角の比較的小さなブラッスリーではなく、主な観光名所付近にドンと店を構える大型ブラッスリーを選んだのは、これらの店が一体どんな経営者によって成り立っているのか、もう随分前から興味があったから。

 
ブラン氏


どの店も同じくらい愛しているというブラン氏。地元に密着し、住人にも、パリを訪れる観光客にも愛されたいというのが彼の願い。

 レ・フレール・ブランの責任者であるジャック・ブラン氏に取材の申し込みをし、取材場所に選ばれたのは、ブラン氏の経営するブラッスリーの一つ、オ・ピエ・ド・コション。ここはパリの中央に位置し、その昔、「パリの胃袋」と呼ばれたレ・アール市場のあったところ。
 この店のちょうど目の前にコション Cochon(豚)のコーナーがあったため、"豚の足元に"という意味の店名がついたそうだ。巨大なパリの胃袋は1975年に郊外へ移され、現在は若者に人気のあるモダンなガラス張りのショッピングセンターと、緑豊かなレ・アール広場になっている。
 約束の時間よりも少し前に到着し、ブラン氏とのランデヴーの旨を伝えると、待ち構えていたかのようにメートル・ドテルが現れた。
 「少しばかり遅れます、と先程ブラン氏より連絡がありました」
 フランス人との約束は、11時なら11時頃という意味。こちらも次の取材が押している訳でもないので、多少の遅れは気にしないことにした。
 レ・アール広場に面したガラス張りのコーナーへ案内され、ギャルソンたちの緊張感を感じつつ、こちらも多少緊張しながら店内とギャルソンたちをしばらく観察していると、さりげなくブラン氏登場。気むずかしいイメージとはほど遠く、溢れんばかりの笑顔で私たちを迎えてくれた。

 1946年オープンのオ・ピエ・ド・コションをブラン氏の父親が最初に購入してから約半世紀。フランス語の "フレール Fr俊es " が兄弟を意味するように、ブラン氏は兄のピエールと共に会社を運営。今年の3月、バスティーユにブラッスリーを一軒オープンさせたばかりというのに、すでに次の計画に入っているそうだ。

 「どうしてレストランではなくブラッスリーなのかとよく聞かれますが、私は単純にブラッスリーが好きなんです。パリとひと言で言っても、地区によって様々な顔を持っています。それぞれの地区と住人たちに、より近い存在であるためにはブラッスリーが一番なんです」

 なるほど、ミシュランの星付きレストランへ行くのは、不景気な今となっては外国人がほとんど。ただでさえ一般的なフランス人には遠い存在なのだ。地方のレストランでは、味はよくても客の足が遠のいてしまって、止む終えず店を閉めるところだって少なくないらしい。それに比べるとブラッスリーは地元密着型。ましてパリならば近くの住人はもちろんのこと、場所もよければ観光客だって沢山やって来る。人々に支えられながら成り立っていくブラッスリーだからこそ、レ・フレール・ブランはここまで大きくなったのかもしれない。

 

 
 ブラッスリーといえば牡蛎やエビ、カニなどといった海の幸を、クラッシュした氷を敷き詰めた銀色の大きな皿に盛り付けるプラトー・ド・フリュイ・ド・メールPlateau de Fruits de Mer "海の幸の盛り合わせ" がお約束になっている。
 ブラン氏ご自慢のブラッスリーは、いずれも店先に海の幸専用のコーナーが設けられていて、牡蛎を開けたり、美しく盛り付けたりする職人たちの技を見ることができる。季節によっては鮮度が気になるものだが、店の方でもかなり気を使っていることは言うまでもない。オ・ピエ・ド・コションだけでも毎日600から1000人もの客がやって来るのだから、素材の鮮度は保証済み。16軒すべてのスペシャリテが "海の幸" になっていて、フランス北西部のブルターニュ地方から毎朝新鮮な海の幸が運ばれてくる。毎日すべての素材を使い切るというのだから、夏でも安心して食べることができるのだ。

 東京にはドゥ・マゴやフロールなど、パリの代名詞ともいえる店がどんどん進出している。レ・フレール・ブランが対立するフロ・グループでさえあるのだから、オ・ピエ・ド・コションあたり日本に出店する計画はないのか訪ねてみた。
 「その気は全くありません。以前、アメリカの実業家から話をいただいたこともありますが、遠い外国では、細かいところにまで目が届きませんからね。それに名前だけのブラッスリーでは、私にとって意味がないんです」
 自分の目の届く範囲で、スタッフのひとりひとりにまで気を配りたい。瞳を輝かせながらそう言ったブラン氏に、パリにしか存在しない、ブラッスリーの真の姿を見たような気がした。年収数十億ともいわれるレ・フレール・ブラン。今後の活躍に大いなる期待をしたいものだ。

 

 

Brasseries Map

illustration : Chikako ITAMI

 
Kazarikei

 
merci

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