第五話  タラソテラピー
FRANCE

tha16  海という字のなかに母がある、とある詩人が謳っていたが、なんとフランス語の母 Mère のなかにも海 Mer があるではないか。
 つまり「すべての生命は、母なる海、海なる母から誕生した」ということなのだろうか。

  tha19

 地中海の旅は文字通り海とのつき合いがポイントとなるが、タラソテラピー Thalassothèpapie とは、ギリシャ語のタラサ(海)とフランス語のセラピー(治療)の造語で、1876年にフランスの医師ラ・ボナディールによって命名されたという。

 海のすべてを活用するタラソテラピーは、医師の指導のもとにリューマチ疾患、骨折などの治癒の補助療法として効用があるが、予防医学的な側面にも注目され、心身のリラクゼーションや美容、禁煙、減量などを目的とした人々にも人気が高い。
 「海は人間の心身の病を治す」とはるか2,500年前にいったのは、ギリシャ時代の詩人エウリピテスであった。

 

 紀元前420年には西洋医学の祖といわれるヒポクラテスが温海水浴を提唱し、かのプラトンも温海治療で病を治したとの文献も残っている。 風呂好きであったローマ人は、帝国の膨張と共に宮殿とあわせてアルルにも残されているローマ風呂を各地に造り、入浴文化が発展した。
 海藻に含まれるカリウム塩の吸収は、新陳代謝や脂肪の分解を促し、アミノ酸は、皮膚組織を蘇生する効能がある。体液の循環は多量の酸素を吸収し、よって細胞を活性化させることにつながる。 地球上の70%は海であり、人間の70%も体液で構成されている。
  僕らが母の体内に10ヶ月もいられたのも羊水という海にいたからだ。

tha24 tha3 tha12
 数年前、僕がはじめて体験したタラソテラピーは、なにもかもが珍しかった。シャワーを見ても、これがどういう目的で使われるのか、バスタブを見ても触っても、その用途はわからない。プールサイドに出れば、胸をあらわにしたまだ若い女性が読書しているいし、これもカルチャーチョックなのだろうかと悩んだりもした。

 白衣の女性に案内され、ドクタールームに入った。いかにも診療室といった白壁に白い床。壁のビュアーには、数枚のレントゲンのネガティブ。聴診器を肩からさげたやさしそうな医師がニコニコしていた。
 彼はまず問診票をだす。およそ五十項目の質問が提示され、ここでまずパニックになった。英語の表記はまったくなく、すべてフランス語。僕がウーン、ウーンとうなっていると、彼はまたニコニコして、「それは(問診票)は書かなくといもいい」という仕草で、僕を寝台に連れていく。彼は脈拍をとり、聴診器を体にあてカルテに書きこむ。そのとき僕が聞き取れた言葉があった。

tha5 tha10
tha8 tha20

 「キミはテンションが少し高い。コーヒーとアルコールをひかえるように」 やはりお医者さんの言葉には説得力がある。以後二週間(だけ)、僕はコーヒーはカフェイン抜きに徹し、アルコールもすこしだけ我慢できた。このさいだから禁煙――本当の話、アルコール、コーヒー、タバコはそんなに努力せずに自重できたから不思議――も試みた。
 カルテをもってつぎにいくところは、タラソテラピーの具体的なトリートメントをプランニングするカウンター。ここで専門の療法士が、カルテにそったトリートメントの処方箋をつくる。

  tha23
 さて僕の今日のトリートメントは、アフュージョンシャワー、海藻パック。バスローブを脱ぎ、海パンのままベットに横になろうとしたら、ブルターニュ女性たる逞しい女性(オバサン)が、ソレも脱げという。えぇっ、でも……と思ったのも一瞬で、気づいたら僕は彼女のいうなりになっていた。
 ベットの上には一〇個ほどのシャワーヘッド。うつ伏せになった瞬間、海水が雨滴のように降り注いだ。海水が首、背中、臀部、太ももそして足の裏を糸状になった海水が温水、冷水と交互に強弱をつけて刺激する。この療法は、血行を促進させ筋肉の緊張を和らげる効果があるという。昼寝感覚で横たわっていると、ほんとうに寝てしまうくらいで、放心してしまうよう。
 次ぎのトリートメントは、気泡マッサージバス。バスタブの形は普通の浴槽であり、いわゆるジャグジーなのだが、マッサージ効果を緻密に考慮した繊細な気泡が噴射し、コンピュータ制御された水流の強弱、気泡の大小は、二〇分間、鍼療法のツボを小気味よく刺激。

 
tha22

tha7

tha9

 最後のトリートメントは午後二時からの海藻パック。僕はこれをコブ巻と呼んでいるが、その形態はまさにコブ巻状態。ペースト状になった海藻を全身に塗り、その上にパラフィンを被せさらに熱線の入ったキルティングが全身を覆うというけっこうおおげさなトリートメント。
 海藻の滋養成分やカリウムを皮膚から吸収し、自然な発汗を促すのがこのトリートメントの効用で、細胞の活性化のため潤いを与え、皮膚の老化を防止する効果がある。

 じつはこのトリートメントでやっかいな問題がもち上がった。
 カーテンで仕切られた個室に入り、ここでもアフュージョンシャワーと同じく全裸――あとで聞いたが、水着をつけけても問題はない――になった。
 療法士は二〇代の鼻筋のきれいな女性。うつ伏せになった状態でひんやりとした海藻を素手で塗られる。首筋、背中、腰、臀部、大腿部、頸部とさらに足の指一本一本まで……海は、海藻は、人の心をみだらにするのだろうか。僕の肉体のごくごく一部に、あってはならない変化が生じた。僕もまだ健康な四十代、それはいたし方ないかも知れぬが、しかし、しかしである。悶々としている僕の肩を、彼女はトントンとたたいた。仰向けになれと、彼女は無慈悲にも、しかも事務的に指示をだしたのである。

 

 「タラソテラピーを受けても、食事が不健康だったら意味がありません。ここでもダイエットメニューはトリートメントの一貫です」 とディレクター。 
 昼食は、ムール貝、セロリ、インゲンのサラダに白身の魚。 オリーブオイルを軽く使った料理は、するすると胃袋に入っていった──。

tha21

 

Kazarikei

 
merci

ご意見、ご感想、リクエストなどをお待ちしております。

 
世界の職人篇  世界の陶磁器篇  欧州旅籠篇
クリックしてください