PORTUGAL

ポルトガル屈指のリゾートと人々の暮らしをご紹介します。

楽園について考えた二、三の事柄

 

 「……私の意見では、日本人という実に興味深い極東民族のこまごまとした風習や特性を表現しているような優美な品々を愛好する遠方の外国人に対し、日本美術がもっとも強い感銘を与え得るのは、家庭の道具類とさまざまなその付属品、すなわち「ふとん」を収納する地方の大きな戸棚から日本の酒である 「さけ」を飲むための小さな盃にいたる品々である」
 そして、「鋳鉄のやかん」「茶を入れておく円筒形の、そしてその部分が驚くほどの完璧さでぴったり合わさるアンチモニーの容器」のうつくしさに瞠目し、煙草盆、花器、菓子盆、団扇、反物、硯と筆、綿手拭さえもまことに優美、と、ありふれたちいさな物に注意を喚起して、もう列挙しきれないと唐突に文章は閉じられる。「民芸品の美しさ」と題された、とても短いエッセイであった。

 それを収めるのは、ヴェンセスラウ・デ・モラエスの『徳島の盆踊り』(岡村多希子訳 講談社学術文庫)という趣深い書物であった。
 
  モラエスはリスボンの人。ポルトガル海軍の士官として明治三十一年(一八九八)に日本を訪ね、十年後に神戸のポルトガルの領事となり、芸者おヨネを落籍――駐日ポルトガル大使館文化担当官でもあったパウロ・ローシャ監督がメガホンをとり、三田佳子をおヨネに配して、二人の交渉を映画『恋の浮島』に活写した――、

  日本通信をポルトガルに送って、鎖国後の近代日本をポルトガルに紹介した文人である。ポルトガル王朝の崩壊を期に官を捨て、おヨネの故郷徳島に隠棲。七十五歳の生を閉じるまで祖国の土を踏むことなく、なぜすべてをなげうって日本で生涯を終えたかは、今にいたるまで薮の中。

 


紺碧の海と空。
ゆったりとした時間が島を支配する。
 そのおかげでわれわれは『日本精神』『おヨネとこハル』『モラエスの絵葉書書簡』で彼の緊密精緻な洞察力にうなり、ポルトガル人の日本観に多大な影響をあたえることになったのだが。
のっけからモラエスを想ったのは、マデイラという大西洋のちいさな島に、僕はモラエスとおなじ欲望をいだいてしまったからである。木々にからまる蔦とたっぷり水分をふくんだ緑はまさしく熱帯。マデイラとはポルトガル語で「木、森」の意と聞けば、なるほどと納得するよりない。

  山の斜面につくられた段々畑はアジアそのものだし、もし点在する葡萄畑がなかったら、ヨーロッパとは思えないほどだ。ユートピア。ゴーギャンのタヒチ、小泉八雲やモラエスのニッポンのごとく、僕もこの島のワインでへべれけになり、美女をくどいて安堵と幸福に酔い……。すぐにせまりくる楽園追放の運命に、にがにがしさを禁じ得なかったのである。
 
  首都リスボンの南西千キロ、アフリカ沿岸からは七九六キロとあれば温暖かつ快適。。一四二O年ごろにポルトガル人に発見されて以来、南米、アフリカ、ポルトガルをむすぶ航路の最重要拠点とされてきた。


その国、地方の顔が見える市場。

 むろん、いいとこづくめとはいいがたい。観光地として栄える南側に比し、北は貧しい。日本では即刻撤去を余儀なくされるだろう崩壊寸前の石の家にも洗濯物がひるがえり、花々がうつくしいだけに痛ましさがこころを打つ。

  やりきれない想いで進むと、スイカを半分に割って伏せたような摩訶不思議なかたちの岩の家がある。村人に訊ねると、十六世紀にカナリア諸島から拉致されたスペイン人奴隷たちの住居だとか。今も竹細工などをつくる作業場として活用されているらしく、たくましさに感心するが、内心いささか複雑である。楽園のむこう側にある真実に、あわよくば定住という夢が翳って、僕は少しさびしくなった。

  自問自答のあげく、僕は警句をひとつ編みだしたので、最後にお目にかけようか。
理想郷とはこころに思い描いてあこがれをつのらせる場所、よしんば実現されたとすれば、以後それは夢のない生を送るに等しい。

 

大西洋に浮かぶ島にヒナにもマレなシェフあり

 マデイラでの初日、通訳のアゴステーニョさんが連れていってくれたレストランが最高だった。シェフみずからがテーブルに運んできてくれた料理のたたずまいに、タダモノではないと直感。味のほうはというと、いずれも海の幸をふんだんに盛り込んだ、日本人の舌にかなう皿が勢ぞいである。 

  たとえば、ラパシュ(貝)、タコ、赤ピーマンに、香草を上手にあしらったリゾットの、滋養に富んだ素材の水分と火のたくみな衝突。ラパシュの蒸し煮、ガーリックバター風味の清楚かつ濃密。鰯のグリルがしめす火加減の精妙。手間を感じさせる複雑な味わいとシコシコした歯ざわりがうれしいタコと香草のトマト煮込み。ベーコンと香草を加味し、トマトソースをからめたアサリのワイン蒸しは色彩効果が見事で、味はさらにすばらしい。鯛のグリル。外側のカリカリした感触と湿潤な身は大海の滋味の凝縮。

  脇にそえた黄色い揚げパンはマデイラの特産……いちいち書いていくときりがないようだ。これらを合いの手にワインをやっていると、いくらでものめそうで、マデイラの海がいかにすばらしいかを証明するに足りる。最初は、店のこじんまりしたかまえに多少の不安がよぎったが、それはまったくの杞憂であった。失礼ないいぐさだが、ヒナにもマレなレストランでマデイラ一の美味にありついて大満足というほかない。脱帽であった。



ガーリックがきいた近目鯛のグリル。添え物の揚げパンがまたうまい。
上はラパシュ(貝)、タコ、赤ピーマンリゾット。

 店の名はオ・ジャンゴ。アンゴラの言葉で「村の長の家」という意味らしい。シェフはマニュエルさん。白で身をかためた、いかにもシェフらしいシェフである。「肉にも自信がありますが、やっぱり魚がおすすめです。市場を通さず、直接なじみの漁師から買いつけてるんで、新鮮な食材が手に入るんですよ」四十三歳と男ざかりのマヌエルさんのキャリアは二十二年。

 各地のホテルで修業し、五年前にこの店を開いたオーナー・シェフである。奥さん、娘さん、義理の妹さんがきりもりする家庭的な雰囲気は、すこぶる評判がよく、マデイラ一とのほまれも高い。一九七四年には革命中であったアンゴラのホテル・トロピックで働き、その後マデイラに移り住んだ。ファンゴはこのときのアンゴラ滞在にちなみ、現地では裁判所のような役目をはたす場所でもあるという。

 「料理学校なんか出ちゃいませんがね。おふくろが大の料理好きで、ちいさな時分から手伝ってきたのがずいぶん役にたってますよ、はい。食べるのもつくるのも好きで、家でもシーフードライスとかパエリア、ブイヤベースなんかをよくつくりますよ」 

 マニュエルさんが忙しいときは、娘さんが自宅のシェフとして腕をふるう。血は争えず、将来は料理好きの娘さんが継いでくれるようです、と満面に笑みをたたえて話してくれる。

  すばらしい料理人の真の師といえる母上はマデイラ刺繍も得意としたというから、一族そろって僕の大好きな職人の家系。一代ではとうてい築くことのできぬ、堅牢で奥行があって、深さと広がりのある手と知恵の歴史が、料理の柄を大きくしている。
 
  「じつは太刀魚もごちそうしたかったんですが、今日はいいのが入らなくて。そうそう、せっかくだから肉もお出ししなくっちゃ」
 


マヌエルさんはキャリアは二十二年。

 
鼻歌まじりに厨房にひっこむ姿は、地の素材にこだわる本邦の板前さんとそっくりである。やがてガーリックをまぶした串焼きステーキが、いい匂いをはなちながら僕たちの食卓に運ばれてきた。お腹はすでにはちきれんばかり。

でも探求心には逆らず、ではひと口と舌で迎えれば、うむ、こいつもいける。いい店でしょうと目で語りかけるアゴスティーニョさん。目でうなずく僕。よかったよかったと愉快そうにマニュエルさん。口福、幸福。お腹をかかえてホテルのベッドに身をゆだね、夢のまにまに、マデイラとの邂逅をはたしてくれた運命の女神の杯にワインを注ぎ、うやうやしく礼をとっている僕であった。


島の北方には伝統的な民家が点在する。

 

柳細工

手の変幻の中に
職人の真髄がみえた

 マデイラ北側の霧にけむる山。風雅なところはみじんもなく、僕は緑の静寂にしたがってたたずむばかりであった。カマーシャと呼ばれる湿潤な地域の空気が適度に木の肌をぬらし、籐細工に欠かせぬ柳にきりっとしまった味をしみつかせるのだから、移り気な山の天気に閉口してばかりはいられない。やっとたどりついた山あいのちいさな工房をこわごわノックすると、アントニオ親方が無愛想な表情で立ちつくしていた。

  共感してくれなどとはおくびにもださぬ硬そうな口元に、僕はきた甲斐があったと小躍りする。この手の人は手ごわいが、とびきりの仕事をするに決まっている。
 

 小さな篭、小動物を筆頭に椅子、机、大きなものは数メートルになんなんとするカラベル船まで、部屋一面の籐細工に肝をつぶした。老舗の工房はときに空気がよどんでいることもあるが、ここは静かだがすこぶる活気がよく、清々して気持ちがいい。埃をかぶって取り残されたものもあるが、それはそれで味があって、いわゆる流行ものに懐疑的な僕の性分にあう。アントニオ親方の手の動きのうつくしさもまた、言語を絶する厳しい修練のたまもの。それあっての無心なのであろう。親方の弟子は二十八歳になる息子さん。幼い時分から手伝って、この職についてから九年になるというから、頼もしいかぎりではないか。
 
  「いや、若い職人は少ないからね、もういかん。マデイラから籐細工が消えてなくなるのはそう遠くないよ。オレはできるまでやる。ほかの仕事をするにはもう遅すぎるからな」
 悲しい発言を笑いに転じるように、親方は茶目っけたっぷりにウインクしてみせた。
 柔らかい笑みと風、ワインとメシ。
 楽園三昧は、まだまだ続くのである…… 


Kazarikei

 
merci

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