<シャンパーニュの桜花割り>

 

 

<霞を喰う>

 

 

<鉱山>

 

本動画は 万座しぜん情報館 の展示の一部であり、関係する詳しい資料も展示されております。

吾妻鉱山の発見は、明治41年の晩秋にまで逆上るが、昭和35年の山元の世帯数は292戸、人口は1318名を数えるなど空前絶後の有様であった。— 中略—  しかし、昭和38年以降は、不況による価格の低迷、加えて石油精製の際に排出される“回収硫黄 ”のため、硫黄の採掘は衰退の一途を辿り、遂に本鉱山も昭和46年閉山となった。(『嬬恋村の自然と文化』松島榮治シリーズ(百二)より)

 

<白線>

 

零式艦上戦闘機

我が家上空にうつくしい栄誉の白線が引かれた令和2年5月29日。墨田区の慰霊塔(スカイツリー)方向から大手町へ向かっているのだろうか。ブルーインパレスの感謝飛行に涙腺崩壊だ。
プラモデルでしかないが僕の零式艦上戦闘機が左右の翼を上下に振っているようだ。栄誉礼なのである。
時代が時代なら・・・・・

 

姿勢を正してうつくしい白線を描いたパイロット諸氏の迸る熱き思いを「音羽陸軍埋葬地 英霊の塔」に眠る将兵のみなさんに伝えた。そして献杯、献杯、献杯。

 


<秀明さん>

<桜隠し>

桜隠し

このたびの「菌」なるものは、「地震、雷、火事、親父」ではなく、作為、人為、否、詐為の臭いがプンプンだ。 だったら駆逐しようぜ、と相成り「春の雪」を楽しみつつ「桜隠し」をご本尊として祈り狂ったのである。 「桜隠し」に習い、ここは武漢菌にもお隠れいただこう。


<雛>

 

<武漢菌>

 

<ミャンマー>

 

 

『オレンジ ペコ → パル』

高校時代の友人、原田博喜(写真左)が活躍していたころ。

もう40年以上前だろうか。日テレ通り(東京・二番町)で彼とバッタリ出会った。当時の人気ドラマ 「空は7つの恋の色 」主題歌を担当していた。

彼とは函館の高校以来だったが、今思えば、必然的に会ったのかな。

で、最近、往復メールをはじめたのだ。 彼も若かったが、僕も若かったよ。汗笑)


 

 

日本テレビ系ドラマ(1979年) 「ちょっとマイウェイ 」 の主題歌「夜明けのマイウェイ」は、バンドリーダーとなってシングル売上40万枚を記録する大ヒットとなり、「夜のヒットスタジオ」「紅白歌のベストテン」「レッツゴーヤング」などの人気歌謡TV番組に多数出演していたのだ。

現在は函館在住で作曲家・音楽プロデューサーに転身。RIVa(リヴァ)というバンドのプロデューサーとして音楽業界で現役中だ。

淺岡敬史

 

おお、ヤフオクであの「小指の思い出」を圧倒しているな。「オレンジ・ペコ」健在なり。

西郷輝彦、ガンバレッッッ。

淺岡敬史

 

検索してみると70年代の音楽に強烈なマニアがいるようだ。ヤフオク、強気の「即決価格」。

恐れ入りました。

ボクの渾身の本が、1円で売ってた。

 

 

 

 

<巡礼>

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