リモージュのサン・エティーヌ橋をわたるころ、街は橙色に包みこまれていた。かつて、名もないルノワールが、ドガが歩いたであろうこの橋は、しんとした静けさで満ちていたが、ヴァカンスシーズンにはこの橋もおおいににぎわうという。
鍛えに鍛えられた陶工たちの非凡な「造形」をもとめて──さらに歩きつづけた。 リモージュはパリから特急で約三時間、人口約一四万人のフランス中部にある古い街。三世紀ころローマ人によって栄えたリモージュは、五世紀末の西ゴート王アラリクス二世の軍隊によって破壊され、また一三三七年からはじまった英仏百年戦争などでリモージュはその運命をもてあそばれていたが、エマーユが再興すると同時に、おおくの職人が住みつき平和の時代がやってきた。
そしてこの街をさらにゆたかにしたのは、一七六六年、リモージュ南部三十キロにあるサン・ティリエ・ラ・ペルシュで、まれにみる純白のカオリン(磁器の原料となる粘土)が発見されたことだった。
ルイ一五世時代、王立セーブル窯の下請け工場として、リモージュに白生地生産のみが要請されたが、ナポレオン三世の一九世紀なかごろには独自の生産活動が活発になり、三〇以上もの窯がすぐれた磁器を製作していた。リモージュ焼きのはじまりであった。 |