「瞑想と空想のための街」

 

 スペインの国民的詩人であり劇作家のガルシア・ロルカはグラナダを、「瞑想と空想のための街」と呼んだ。銃殺の刑に処された彼は、グラナダ郊外で生まれている。確かに、不思議な雰囲気の漂う街だ。緑の濃い小高い丘の上には、神秘的な姿をさらす宮殿が建ち、なんだか現代にいるとは思えなくなる。

 西洋でも東洋でもない。そんな空間に身を置くと、気分は浮き立つことはないが、落ち着き払うこともなく、心がニュートラルな状態となる。まさに瞑想や空想に耽るには格好の地である。さて、イベリア半島において八〇〇年に及ぶイスラム教徒による支配がなされていたことは、ご承知のことと思う。

 キリスト教徒による国土回復運動、レコンキスタが完了するのは一四九二年。そう、「石の国新発見」と暗記したコロンブスのアメリカ大陸の発見と同じ年である。この年、カトリック両王がグラナダに入城、アラブ王が城を明け渡したことによって、スペインのイスラム支配は終わりを告げたのであった。つまりグラナダは、イスラム教徒によるヨーロッパ最後の砦となった都市なのだ。 

 スペインが莫大な富と領地を求めて大海原に乗り出し、大航海時代の幕を切って落としたことの象徴のような出来事があった年、キリスト教徒による完全支配が始まる。この街は、そんな時代の色が変わっていくさまをずっと見つめ続けていたのだろう。

サンフランシスコ修道院跡

  

 街の神秘的な雰囲気は、東西文化の波が寄せては返してきた歴史から生まれたものだ。グラナダは県庁所在地であり、新市街はすでに近代的なビルが並ぶ。やはり旅行者にとって興味深いのは、アルハンブラ宮殿を抱く旧市街の方だ。旧市街は三つの丘に分かれている。

 かつてイスラム教徒の家が密集していて、城塞都市として道が迷路のように張り巡らされているアルバイシン地区。ここから夕刻、宮殿を見上げると真っ赤に染まって見えたことから、「赤い城」を意味するアルハンブラという名がつけられたそうだ。ジプシーが定住しているサクロモンテ地区。

 ジプシーたちは丘の斜面を利用して、穴を掘りそこで生活をしている。この洞窟住居は夏は涼しく冬は暖かいというから、彼らの適応性と知恵には感服してしまう。そして、宮殿のあるアルハンブラ地区。グラナダを訪れる最大の目的は、やはりアルハンブラ宮殿。

 コロンブスの無謀と言われた航海に援助の手を差し伸べ、レコンキスタを完了させたイザベル女帝はこのグラナダを深く愛した。死後この地に葬られることを望んだ彼女は、墓所を建設。だが、着工の年、彼女は死去。一五二一年にカテドラルの王室礼拝堂に移されるまで、亡骸は宮殿の敷地内の礼拝堂に安置されていたという。その礼拝堂を持つサンフランシスコ修道院跡が、パラドールとなっていた。
 

パラドール・サンフランシスコ

 

 宮殿内にある宿泊施設として、外国人旅行者が非常に重宝しているホテルである。人気が高い上に、客室数が三九と少ないので、半年以上も前から予約しないと泊まれない、そんな噂は聞いていたのだが、幸運にも僕らはそこに滞在する機会に恵まれたのだった。人気の秘密はすぐに分かる。

 客室は狭くて修道院らしい質素なものなのだが、中庭がなっといっても素晴らしい。回廊に据えられた椅子に、ぼんやりと何を眺めるわけでもなく座っていると、時が経つのも忘れてしまう。なに、立派な庭ではないのだ、数本の木がぽつんぽつんを植わっており、小石で模様が造られた床に噴水があるだけ。それも意外と貧相な噴水なのだ。だが、その侘しげな静寂の風景が、異国にいるとは思えないほどしっくりくるのである。


 

 外のテラスがまたよい。遠くには、アルバイシンの白い家並みを望むことができる。相棒のO氏はこの庭で読書三昧。そして僕はというと沈思黙考?もちろん瞑想(妄想)や読書にばかり耽っていられない。

 ここの食事も素晴らしいのだから。スープや甘いお菓子も美味しい。レストランやバーは宿泊者でなくても利用できるので、残念ながら部屋が取れなければ、食事だけでも堪能して帰られるべし。ドラーダ ア ラ サル(黒鯛の塩かま焼き)は絶品であった。夕日に染まるテラスで、故郷のオフクロへ手紙を綴った──。

 

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