世界遺産に囲まれたポルトに、宝飾師を訪ねた



ゼルジリオ・オ・コスタ・デ・バロッカ親方
に人生の極意を教わった。

  職人特有の気むずかしさが眉根あたりに揺曳していた。眼光炯々、くちびるを噛み、息をつめて刻々と動く指が、とだえることなく次の工程につながっていく。中国の染付に銀の把手をほどこす作業である。阿吽の呼吸に巻き込まれながら手元を見守るうち、いつしか僕は陶然としてきた。目はいっそう冴えるのだが、感覚は酔って麻痺しはじめている。

 「ほれ、こいつは今さっき羽化して飛んでゆくところさ。今日はばかに天気がよさそうだし、オレもこいつに乗って今すぐ飛んでいたやね。外ではポルトワインの一滴が蜜のかわりにお待ちかねときてるしな」
 手を休め、七十一歳になるゼルジリオ・オ・コスタ・デ・バロッカ親方のあごで導く先にある卓上にきらめく真珠貝と銀の細工へと視線を移す。おっとりと上品な蝶である。いじりすぎない素朴な造形は内側から生命の輝きをほとばしらせ、ここでないどこか遠くへ運んでくれるというのも無理もないことだ。

  ほほ笑んで親方のほうに向きなおると、親方はもう仕事に余念のない様子。あらためて手練の賜物に目を落とすと、羽根の向こうに、生身の人間が物質にいのちをあたえ、手で新しい生命を祝福する職人の矜持が彷彿とするのであった。




職人の躯の一部となる道具には、さまざまな表情がある。

 

 ポルトを代表する工芸といえば金銀細工のフィリグラーナがつとに名高い。まずは、ルイス・フェーライ・フィーリョス。ポルトガルに名の轟く宝飾店にあたりをつけた。
 撮影の主旨を告げるや、「まことに残念ですが、当社の工場をお見せすることはできません」と主人に釘をさされる。しかし、僕がポルトの愛すべき人間味についてなんの気なしに口にすると、その通りといわんばかりに相づちを打ち、いい職人をご紹介するならかまいませんが、とあいなった。

 余談だが、主人の話をかいつまんでおくと、ポルトの旧市街が「世界遺産」に登録されたのはまことにけっこう、リスボンで今世紀最後の万博が開催されるのは当然なのだとの結論である。そのゆえんを博覧にぎやか、ときに牽強付会も織りまぜての即席の講義であった。最後のやりとりがふるっていた。「第一の都市は人口二百万人の首都リスボン。では第二の都市をご存じかな」「ポルト、ですか」「いや、遺憾ながらポルトではありません。第二は人口百万人のパリなのですよ(笑)」
 
  この街では、ポルトガルは今もヨーロッパに冠たる世界の中心なのだ。
 曾祖父の代から一世紀にわたり、ポルトガルの宝飾文化の一翼をになう家系である。宝職店を創業したのは一九七0年。今ではイパネマ・パークホテルに支店を出すほど伸長ぶりは著しい。

 

 

気品ある輝きはポルトの誇り。職人たちの温もりが伝わってきた。

 
  「わたくしどもは王家との関係が深く、革命には終始反対を唱えてきたものです。日本の皇室とも関わりがございます。ですから、ひいきのお客さまのお名前だけは勘弁していだきたい。そもそも御用達のシステムはなく、信頼を勝ちとるには、ひとえに職人の腕と創意、ひいては、わたくしども信用にかかっていますものですから」
 イギリスの王冠はじつにいい仕事ですと、職人仕事に公平な主人は、弟と妹で店を経営し、その作品と伝統に絶大な自信と誇りを持っている。その工程の一端を、愛国心から曲げて披露しようというのだから、僕の興奮はお察しいただけよう。さっそく足取りも軽く、工房へとおもむいた。
 
  なかなかの男前の職人にカメラを向けると、寡黙な男は、はにかんでうつむくばかりで、いっこうラチがあかない。ポートレートを撮るのが精一杯で、見事な手先を撮らしてはくれないのだ。聞けば親方の長男で当年四十二歳になるジョルジュさん。五十六年のキャリアを誇る親方も無口だが、十六歳から宝飾の道に入った息子のほうもまた、言葉でなくモノをして語る職人肌の血が濃い。これならと撮影を許されたのは、意地と誇りが染みついた道具である。そうであった。道具こそ彼らの貌であった。
 それぞれに貌があり、歴史がある道具を写真に収めることだけで、僕は充分に満足していた。



 

Kazarikei

 
merci

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