エルミタージュ美術館とエカテリーナ二世

 
2004年、7月17日から10月17日まで江戸東京博物館で開催。 

 

 皇帝たちとエカテリーナ二世の眼差し───
 鋼鉄のような赤いレニングラードは、薄紫の絹のようなサンクト・ペテルブルグヘと蘇った??。
 この古都は一九九一年、七〇年余りの歳月を経て世界政治史の襞のなかで華麗に蘇った。その「世紀の奇跡」は、一九一七年に崩壊した三〇〇余年にわたるロマノフ王朝の至宝でもあったエルミタージュ美術館の内実における復権をも意昧する。
 ピョートル大帝、エカテリーナ二世らが愛した美術・工芸品の裡に、僕は大ロシアの魅力を粛々とカメラに収めた───。 


オレグ・M・セルドボーリスキーさん

 
 
レオナルド・ダ・ヴインチ、ミケランジェロ、ティヅィアーノ、
ヴェラスケス、ルーベンス、ゴヤなどの作品の数々が‥‥‥

 

  初めてサンクト・ペデルブルグを訪れた時にお世話になったのが、オレグ・M・セルドボーリスキーさんだった。
  タス通信の論説委員である彼は、一九四九年にウラジオストクに生まれ、一九六六年レニングラード大学ジャーナリスト学部を卒業した。

  オレグさんは詩集も数冊出版しているが、僕の興味はナチ・ドイツ軍に包囲されたレニングラードで活躍したカメラマンたちを描いた「戦争の一秒」というドキュメンタリー。
  残念ながら邦訳には未だなってはいないが、案内役でもあった彼と過ごした一週間で、その「一秒」のなんたるかは理解したつもりである。 

 

フロッグサービス

 
 
緑の小さな蛙がトレードマークの「フロッグサービス」。 

  エルミタージュ美術館には世界の名品が展示されているが、なかでも興味があるのは食卓を飾った器たち。権勢を誇るエカテリーナ二世(在位一七六二年〜九六年)はウェッジウッドに製作させたテーブルウェアが「フロッグサービス」だった。
 
  一七七四年に完成したこれらの名器は全部で九五二ピース(五〇人分)。英国の風景が落ち着いた茶の顔料で描かれ、緑の小さな蛙――エカテリーナのイギリス・ネオ・ゴシック様式のチエスメ宮(Kekereksinen)が“蛙沼”の意味があった――がトレードマークとなっている。

  イギリス各地の風景や宮殿など一二四四通りもの精緻を極めた筆さばきは、ロンドンのチェルシー装飾工房のS・アームストロングやJ・バーネット、そっしてスタッフォートシャーの風景はストリンガーら約三三人の絵付師によるものであった。。 

 

ウェッジウッドの器量と度量

 
 
セーブル窯に制作させた「トルコブルー・ウエア」。 

  「フロッグサービス」の制作は、一年がかりの大仕事であった。エカテリーナ二世はマイセン窯の「スワン・サービス」、セーブル窯の「トルコブルー・ウエア」、ロイヤル・コペンハーゲンの「フローラ・ダニカ」など世界の名窯に当代きってのディナー・ウエアを製作させていた愛陶家でもあった。

  ところで気になるのが「フロッグサービス」の値段。僕が私淑する陶磁器教授、前田正明氏の試算によると価格は当時の貨幣で約二七〇〇ポンドで、原価は二六一二ポンド。つまりウエッジウッドの儲けは一年費やしてたったの八八ポンドという。
 
  さらに教授の解説借りると、一七七四年の完成時にロンドンのポートランド・ハウスに製品を展示し話題性を高める、つまり宣伝広告費を考慮すると八八ポンドはけっして安くはない、ということである。
  シャルロット王妃をはじめ、貴族たちがポートランド・ハウスに押し寄せ、ウエッジウッドはさらに株が上がったのである。
  まさに女帝の器は、ウェッジウッドの器量そのものであった。面目躍如である。
  ウム、してやったりである。

 今宵の宿はネフスキー大通りに面し、一八二四年に建てられた美しいバロックスタイルのファサードが印象的な「グランドホテル・ヨーロッパ」。
  エカテリーナ二世の収集欲と権勢欲を肴に、一人晩餐を愉んだ。

 

 

 

 

Kazarikei

 
merci

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