展示会場では各国に散ったセーブルの名器が数多くあったが、特に目を引いたのが第八会場を占めるロシアのエカテリーナ二世が一七七七年、セーブル窯に注文した七四四点の食器群。
古代ギリシャ様式の簡素厳正なシェイプに、トルコブルーと金彩で絵付けされ、器の中央には皇后の頭文字が花文字で描かれている。ここで注目したいのが器の様式だが、つまりこの時代、ヨーロッパ諸国はこぞって食器をふくめロココ様式になびいたのだが、フランスのサロン文化を積極的に模倣していたエカテリーナ二世が、なぜ、ロココとは対称的なギリシャ様式を選んだのだろう。 
史実としては、フランス王家の贈答リストから外されたことに憤慨し、従来のセーブルにはない、当時の流行に挑戦した女帝のプライドであったというが……。話が飛ぶが、ロシアのサンクト・ペテルブルグにあるロマノフ王朝の栄華を極めたエルミタージュ美術館のことを思い出した。
館内に輝くエカテリーナ二世に愛された膨大な食器群は、フランス王家を意識した華麗なる輝きを放っていたが、ひとつだけ不足している名品に気づいた。それは繊細優美と表現すべきデンマークの名窯ロイヤル・コペンハーゲンがエカテリーナ二世への贈物として制作した───エカテリーナ二世の死によって製作は中断され、完成品の一八〇〇点はロシアに送られることはなかった───最高傑作のディナーウェア、フローラ
ダニカがエルミタージュには欠けていた。
何故、世界に誇るエルミタージュ美術館にはフローラ ダニカの一品すら蒐集されなかったのだろう。 旅まかせに、不遜にもある推理をしてみた。エカテリーナ二世、そしてロイヤル・コペンハーゲンのスポンサーだったジュリアン・マリー皇太后は、ともにドイツ人であり同世代の誉れ高い女傑であった。歴史の襞に隠されたドイツ女の確執−−つまり、フローラ
ダニカはロシアではなく、デンマークに花咲き、散るものでなければいけなかったのだろうか。 |