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ノンブル

会場 入口

「宇宙御絵図」を思考する
豊田市美術館 副館長
青木正弘

 ここでは「宇宙御絵図(うちゅうみえず)」に向き合う私の思考と、それにまつわる様々な出来事を思い起こし、本展覧会の開催に至るまでの経緯をありのままに述べる。
 展覧会をつくっていく過程で、幾度となく訪れる困難が、偶然とは思えぬ人や作品との出会いで突破され、その内容が変異を繰り返しつついかに発展していくものであるか、つまり、展覧会というものが、「生きもの」であることを本展を通じて私は伝えたいのである。
  まさにそれは、鑑賞者の一人ひとりが、この展覧会を観て、どれひとつとして同じもののない美しい「宇宙御絵図」を描かれることを望んでいるがためである。

 本展が、2003年に開催した「宥密法(ゆうみつほう)」、2004年の「イン・ベッド【生命の美術】」に続く、人間と宇宙、そして生命をテーマとする展覧会三部作の完結編であることは、展覧会紹介文などで度々述べてきた。
 しかしこの際、有り体に言えば、「宇宙御絵図」が着想された時、初めて三部作であることに気づき、これがその完結編になったのである。

 第一作目「宥密法」から振り返ってみよう。
2002年8月5日、私は詩人の佐倉密(現在は「外詩作家」と称している)に誘われて、下諏訪に松澤宥を訪ねた。当時、松澤81歳、佐倉36歳。祖父と孫ほど歳の離れた二人の禅問答は、時間と空間、思議と不思議の間を自由自在に跳梁しているようだった。
 この対話のなかに見た、二人の空間観と時間観が、目先のことに追われ、いっそう閉塞感が増す現代に生きる我々に、開かれた新しい宇宙的視座を教えてくれるものと直感し、その思いにかたちを与えたのが「宥密法」であった。
 「宥密法」というタイトルは、松澤宥の「宥」と佐倉密の「密」を合わせたものであり、松澤が命名した。1964年に啓示を受けて以降、創作の手立てからオブジェを消した美術家の松澤が言葉を使い、詩人の佐倉がオブジェをつくるという一見あべこべの二人展は、2003年の秋に開催された。

 そしてこの頃には、翌年の「イン・ベッド【生命の美術】」展のイメージは固まりつつあった。

──ベッドは、決して疲れを休め、眠るためだけのものではない。誕生と死、安らぎと病、眠りと夢、そして性愛と快楽。ベッドは、生と性にまつわる肉体的、精神的な営みの場であると同時に、個人が社会と向き合う行動の起点であり終点でもある。
 それは常に喜怒哀楽の舞台であったし、間違いなく舞台であり続けるだろう──

 このようなテーマで、絵画、彫刻、写真、映像など、それぞれのジャンルを代表する22人の作家を選び、現代の作家が、人間とベッドとの関わりから、人間の存在をどのように捉え、そして表現しているのかを検証しようとしたのが第二作目「イン・ベッド」展だった。
 企画者の私が、「イン・ベッド」を思考し、思い至ったことを、カタログ掲載の拙論から一部再録したいと思う。
 なぜなら、私の展覧会をつくりたいという欲求の源がそこにあるからであり、今回の「宇宙御絵図」をつくろうとした私の、怒りにも似たエネルギーも、そこから生まれているからである。


──同床異夢とは、起居をともにしていながら別々のことを考えていることを表す言葉であるが、それどころか人間は、一つのベッドで身体を重ねながら、時として互いに異なった第三者をイメージしつつ目の前の相手を抱き、また抱かれることができるという、賢くも不謹慎でやっかいな高等生物なのである。

 かように皮膚一枚を隔てた自己と他者の距離は絶望的に遠く、時として信じがたく近い。人の心は常にこの距離の間で悲しみ、苦しみ、そして喜ぶのである。敢えて言葉にすれば、残念ながら人類は、反社会的、反道徳的でやっかいな因子を払拭できないで抱え込んだまま、しばしば根源的な衝動に翻弄され、またその衝動を内在させてきたがゆえに生き延びてきたとも言えるのではなかろうか。

 そしてまた一方で人類は、社会的、道徳的であることを理想に掲げて生きるという、矛盾の狭間に身を置く高等生物であり、創造のエネルギーはその狭間で生まれるのである。(中略)21世紀を迎え、人類は平和を希求しつつ、なお戦いは止むことがない。
 また豊かな社会の実現を目指しながら、そしてそれは少しずつ実現されているはずなのに、悲惨な事件は後を絶たず、自ら命を絶つ人が増え続け、心を病んで苦しむ人々が巷間に溢れる。
 この矛盾はいったい何処からやって来るものなのだろうか。人類の生命力というものは、戦うことを忘れ、平穏と安定に浸った時、生きる力を失ってしまうものなのだろうか。現代社会のシステムは、個の解放ではなく、むしろ個を抑圧する性格を帯びてきていることも確かだろう。

 それゆえ、ベッドが象徴する個人的な空間は、我々が生き生きと生きるために、今後ますます重要な場となるだろう。そしてそれは、ある意味においてアナ−キーな場でなければならない。人類の叡智は、人間の理想と生命体としての本性が折り合う世界を導き出せるだろうか―

 かねてから、宇宙・人間・生命をテーマとする小さな展覧会を、当館のコレクションから紡いで組み立ててみようと考えていたが、「イン・ベッド」展の準備に追われ、それは具体化しないままであった。
 そんな2004年の秋、「イン・ベッド」展を観に美術館を訪れた佐倉密が、帰路の名鉄知立駅で乗り継ぎの電車を待ちながら、私に聞いてきた。

佐倉:青木さん、もう定年が近いけど、最後にもう一回、展覧会をするとしたら、どんなテーマでしたいと思う?
青木:宇宙と人間と生命の展覧会だな。作家は金山、河原、北山、野村、松澤、それから…。
当館のコレクションを思い浮かべながら、作家の名前を挙げていった。それを黙って聞いていた佐倉から、「宇宙御絵図」と大書されたファックスが届いたのは、その数日後だったと記憶している。宇宙御絵図は「宇宙見えず」か…、これはなかなか良いタイトルだ。私のなかの漠然としたイメージに、ひとつのステージが与えられたような気がした。三部作の完結編は、生まれようとしていた。
 2004年12月21日、美術館に一人の作家が私を訪ねて来た。彼女の名は、ZAPPA。以前、別の学芸員を訪ねて来たことはあったが、その時は名刺を交換し、私は簡単な挨拶を交わしただけだった。だから、私は彼女の仕事について、まったく知らなかった。

青木: あなたの作品を観たことないけど、何かテーマはあるの?
ZAPPA: シャセイです。
青木: (写生?/射精?)
ZAPPA 男性の射精です!

 まさか初対面と言ってもいい妙齢の婦人の口から、このような言葉が吐かれるとは思ってもみなかった。私は正直驚いたが、頭のなかで、ふたつのことが交叉し、火花が散った。ふたつのこととは、佐倉に問われて答えた6人の男性作家がテーマとする「宇宙」とZAPPAがテーマとする「射精」である。

 作品そして両者とも各々にとっては、ついに感取不可能な世界だ。私の問いに、もZAPPAが、「女性のオルガスムスです」と答えていたら、彼女はこのステージに上がってくることはなかっただろう。

 ZAPPAは「宇宙御絵図」に点火した。現在まで、私とZAPPAが交わしたメールは325通に上る。しかし不思議なことに、未だに私はZAPPAの本名がすぐに思い出せないし、彼女の年齢も知らないのだ。
 

 2005年8月20日、縁あって椎名林檎が美術館を訪れた。その時たまたま美術館に来ていた佐倉密に言わせると「天空から突然、林檎が落ちてきた」ぐらいの大事件であったようだ。後に、佐倉が無類の林檎好き、いや林檎中毒であることを知ったが、そこまで椎名林檎に詳しくない私にも、今回佐倉が出品する《invisible apple》や、パフォーマンス《密入り林檎》がこの事件に触発されてつくられたものであることは、想像に難くない。
 またこのところ佐倉の林檎に対する思いは一層熱を帯び、私と会うたびに呪文のように唱えている。

──見えない力を発見し、我々を宇宙の旅へと誘ってくれた“ニュートンの林檎”。初恋から失楽園まで、様々な出会いを与えてくれた“アダムとイヴの林檎”。そして、満天の星空から落ちてきた、真っ赤な“椎名林檎”―
 8月21日。佐倉も前日の事件で点火したのだろう。早朝、こんなファックスが私に届いた。

宇宙御絵図

五人で宇宙を支える。

金山明の「明」(あかるく)  宇宙見えず、彼は描き
河原温の「温」(あたたかく) 宇宙見えず、彼は数え
佐倉密の「密」(ひそかに)  宇宙見えず、彼は集め
野村仁の「仁」(いつくしみ) 宇宙見えず、彼は結び
松澤宥の「宥」(ゆるす)   宇宙見えず、彼は歌う

 抜け目なく自分の名を加え、3文字の作家名をただ50音順に並べて、そこに見事な解釈を加えてみせたものだった。が、北山善夫が入っていないではないか。このことを早速佐倉に伝えると、
 

佐倉: 北山さんの作品のエネルギーが宇宙御絵図に欠くことができないものであることなど、百も承知です。ぼくは動機を考えているんです!
青木: 佐倉、よく見ろよ。“北山善夫”と“宇宙”は、同じことだぞ。
佐倉: 〈事〉のことは、今はどうだっていい。欲しいのは〈人〉と〈物〉、つまり名前の問題です。
青木: だから〈物〉のことだよ。いいか佐倉、ふたつの文字を縦に書いてよく見てみろ。北山善夫も宇宙も、真ん中で縦にふたつ折りにすると左右が一致する。そう、お前が好きなロールシャッハ・テストの図像じゃないか。
佐倉: ええっ? あ、そうか。これはいいなぁ。
青木: いいだろう。

 北山善夫の名前の問題が、ロールシャッハで一気に解決するという、この奇妙きてれつな会話は、もちろん、つくり話ではない。

 2006年は、私にとってつらい出来事が次々と起こった。過ぎてみれば、それらは「宇宙
御絵図」の思考への試練にも思えなくもない。5月8日、私は、椎間板ヘルニアを患い動け
なくなる。6月の上旬には、それが原因で初めての入院。6月3日、同僚の突然の死。その
二日後の6月5日には、井田照一が亡くなった。当館において2004年に開催した大規模な
井田の個展は、亡くなったその同僚の企画によるものであった。

 9月2日、金山明の死。金
山は、翌年1月6日に始まる、当館の個展のオープンを待たずに逝った。そして10月15
日、2222年まで生きると作品のなかで宣言していた、死ぬはずのない松澤宥までが故人と
なった。

 2003年6月27日、「ダニエル・ビュレン」展のオープニングにあわせ来館した松澤に、
私は「イン・ベッド」展を持ちかけた。
  

青木: 松澤さん、私は今、「宥密法」と並行して、来年秋のグループ展「イン・ベッド【生命の美術】」の準備を進めています。
松澤: おやおや? 青木さん、私が“オブジェを消せ”という啓示を受けたのは、布団のなか、すなわちイン・ベッドでしたよ!

 「イン・ベッド」展には、『80年問題』の新作《in bed》が出品され、自作の前でパフォーマンスが行われた。
 私が松澤の姿を見るのは、これが最後であった。このパフォーマンスでは、松澤はいつもの白ずくめの衣装ではなく、奇しくも黒いスーツに身を包んでいた。

 当たり前のことと言えば、当たり前のことだが、人の死は、いつだって遺された者たちの身勝手な思いで彩られている。私は寺の息子なので、そのことは幼い頃からよく知っている。私には最も近い「他人の死」のひとつである松澤の死も、おそらくはそうであろう。
 しかし、私にはどうしてもその死が、「宇宙御絵図」の中心に絶対的に存在するブラック・ホールに思えてならないのだ。

 すべての存在を飲み込んでしまうという、その膨大な虚無のエネルギー。松澤は主治医に「来年の七夕、私は必ず豊田へ行かねばならないのです。それまでに、きっと私を元気にしてください」と、言っていたそうである。その松澤の思いの分だけ、死の虚無のエネルギーは大きい。そして、死は何も特別な出来事ではないという、超え難い恐ろしさ。
 
 毛利武士郎の仕事にもそのことが色濃く反映しているように思う。私は毛利の作品に出会った日のことが忘れられない。2006年7月17日、私は、富山の発電所美術館に遠藤利克の個展を観に行き、興奮覚めやらぬまま、その帰り、学芸員の長縄宣に連れられ、富山湾を一望する黒部の高原に、今は主を失った毛利武士郎の住居と仕事場を訪れた。

 そこで私を待っていたのは、二基の巨大な旋盤と横たわるステンレスの角柱だった。よく見るとステンレスの表面には、大小様々の円周がうっすらと認められた。工作機械を自在に操り、ステンレスの塊に穴をくりぬき、一方で、ステンレスの塊から同径の円柱を削り出し、それを嵌め込み元に戻す。なんたる無駄な行為であることか。

 時間の浪費としか思えないこの毛利の仕事は、何故だかどれもが清新で尊い光を放っていた。大宇宙に対して、あまりにも無力な人類の健気さを髣髴とさせた。毛利の彫刻は、「存在と無」あるいは「生と死」が対立したり、どちらかがどちらかに包含される関係にあるものではないことを、私に直感的に知らしめた。

 私たちは、広大無辺の宇宙にぽつねんと浮かび、かつて詩人・谷川俊太郎が「二十億光年の孤独」のなかでいみじくも歌い上げた「孤独の力」を胸に、一体何処へ向かうのだろうか。人類の歴史のなかで、私たちは宇宙のことをどれほど知り得たのか。宇宙は知れば知るほどその暗黒の深度を増し、私たちはその謎に眩暈する。

 取り留めのない記述になってしまったことを読者にお詫びする。が、事実このようにして、私は、展覧会「宇宙御絵図」をつくったのである。

私の心の奥に、真実の絵が掛かっている。描かれてからちょうど110年が経つポール・ゴーギャンの絵である。そこには何が描かれているのか。水底の風景のように青く美しいその世界には、誕生から死に至る、人生の悲喜交々が見て取れる。
 私はここで多くを語らない。あまりにも有名なその名画の、タイトルを記すだけで十分であろう。なぜなら、私も、「宇宙御絵図」を観に来てくれたあなたも、この絵の直中にいるのであるから。

―我々は何処から来たのか 我々は何処にいるのか そして我々は何処へ行くのか―

                          


■「宥密法」 会期:2003年9月14日−12月28日 出品作家:松澤宥、佐倉密

出品作家:ジョルジュ・アデアグボ、荒木経惟、ヨーゼフ・ボイス、クリスチャン・ボルタンスキー、ジェームズ・リー・バイヤース、ソフィ・カル、ピエル・パオロ・カルツォラーリ、マルレーネ・デュマス、ナン・ゴールディン、井田照一、河原温、ウィリアム・ケントリッジ、イヴ・クライン、倉俣史朗、草間彌生、松澤宥、ロン・ミュエク、シリン・ネシャット、ヨーコ・オノ、パブロ・ピカソ、アルヌルフ・ライナー、ビル・ヴィオラ

 

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