中公文庫

ヨーロッパ陶磁器の旅

 
世界一有名なウサギ、ピーターラビツトをお供につれて、
陶工の街、ストーク・オン・トレントを皮切りに湖水地方、
スコットランドを経て、隣国アイルランドまで旅をした。
くすんだ煉瓦の壁、角張った煙突の民家、きらりと光る麦の穂先・・・・
偉大なる田園の国、水彩画の世界へいざ行かん。
女王陛下に愛された器で午後のお茶を楽しみ
「生命の水──ウィスキー」でスランジバー(乾杯)!

 

ヨーロッパ陶磁器の旅
『 イギリス編 』

 
第一巻

 
フランス編
ロココの華が生んだ青

 
発売中

第二巻

イギリス編
女王陛下の愛した器

発売中

第三巻

ドイツ編
東洋の白に憧れて

発売中

第四巻

南欧編
半島の光と影

発売中

第五巻

北欧編
白夜に咲く藍の花

発売中

第六巻

トルコ編
文明の交差点に眩惑を感じて

発売中

※ 定価 920円 (税込み)

 

第二巻 イギリス編 CONTENTS

神々から祝福された陶工たち・・・・・・はじめに 8
陶工の街・・・・・・ストーク・オン・トレント 11
グラッドストーン陶磁博物館・・・・・・ 14
英国陶工の父ウェッジウッド・・・・・・ 20
コストバディ夫妻・・・・・・ウェッジウッドの重役の家を訪ねて 37
生きた博物館・・・・・・マンションハウス 41
陶器と磁器の融合・・・・・・スポード窯 49
スポード窯付属美術館・・・・・・ 54
歴代の英国王室女性に選ばれたボーン・チャイナー
・・・・・・エインズレイ 60
工茉製品にひそむ手技・・・・・・ロールスロイス 63
ピーターラビツトの故郷でお茶を・・・・・・湖水地方 67
英国初の王室御用達窯は現存する最古の磁器窯
・・・・・・ロイヤル・ウースター 74
濱田庄司の残した窯・・・・・・バーナード・リーチ窯 77
英国最古の宿・・・・・・マーメイド・イン 90
ウェールズのバラ・・・・・・ローラ・アシュレイ 96
Is not darling?・・・・・・ロイヤル・ドルトン 104
中世の職人街・・・・・・チツピング・カムデン 112
生活と芸術・・・・・・ウィリアム・モリスが発したメツセージ 116
シェイクスピアを生んだ街・・・・・・ストラッドフォード・アポン・エイボン 126
ローマ人が浴場を建設した町・・・・・・バースー132
柿右衛門写しとならぶ日本風パターンの誕生
・・・・・・ロイヤルクラウンダービー 135
悠久の歴史に育まれた虹のプリズム・・・・・・ウォーターフォード 142
生命の水・・・・・・スコッチ・ウィスキー  146
劇場であり、職人集団の牙城・・・・・・ロンドンのホテル 157
骨董の町・ロンドンを歩く・・・・・・ 170
旅の三種の神器・・・・・・ 181
イギリス陶磁史・・・・・・ 184
文化超大国の復活を目指して・・・・・・ 189

イギリス編 image
Wedgwood
日本で人気が高い「ワイルド・ストロベリー」

イギリス編 image
ヴィクトリア&アルバート美術館で
開催された 「天才ウェッジウッド展」

 

参考図書

『ヨーロッパの陶磁』(岩崎美術社)/『ヨーロッパ陶磁名品図鑑』(講談社)
『ヨーロッパ名窯図鑑』(講談社) / 前田正明『西洋陶磁物語』(講談社)
『ウェッジウッド物語』(講談社)/『陶藝の美』(京都書院)
由水常雄『図説西洋陶磁史』(ブレーン出版)/三上次男 『陶磁の道』(岩波書店)
西田宏子『一七・一八世紀の輸出陶磁』(毎日新聞社)

 


 

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カメオ技法を応用したジャスパーウェア

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ヴィクトリア時代のデパートの
ウインドーが再現されていた

Wedgwood ウェッジウッド 

明治四年の日本に、ウエッジウッドが紹介された──。
 「空地烏徳の幼き時疾を得て不具と成しが其國の陶器の粗なるを憂い數年工夫して精巧の品を造りだし國の大益を成せり」(スマイルズ著 中村正直訳 『西国立志編』)。  

 ウェッジウッドの名称は、ジョサイア・ウェッジウッドの名からとったものだが、その創業はマイセン磁器から半世紀も時をへた一七五九年。彼が生きた時代は宗教的迷信がすたれ、産業革命をきっかけに人々は新しい世界観、人生観を求めていた。
 一七六五年には、時の王妃シャルロッテよりウエッジウッドは依頼を受け「女王御用達陶工」のお墨付きを授かるまでに成功したのである。
 ウエッジウッドは一七三〇年、トマスとマリー夫婦の一二人兄弟の末っ子としてストーク・オン・トレントのバルスレムに生まれた。家業は小さな規模のチャーチヤード窯であったが、父の代ですでに3代目という根っからの陶工の子として育てられた。一七三〇年、父の死によって家業は長男のトーマスが継ぎ、学校を中退したウエッジウッドは兄のもとで本格的なロクロの修行を五年間積む。その後彼は一一才のときに患った天然痘で片足切断という不幸に襲われた。彼は自分にあたえられたハンディをバネに、肉体を駆使する陶工をあきらめ、新しい着想のためのさまざまな勉強に励んだ。つまり陶磁器のプロデューサーを志したのである。長男と別れた二二才のウエッジウッドは、ハリソン・アンド・オルデンス窯に共同経営者として参画するが、一七五四年、彼は進歩的な陶工として知られていたフェントン・ヴィヴィアン窯のトーマス・ウィールドンとともに仕事することになった。この五年間は陶土の配合、釉薬の調合、窯の温度などの陶器の改良のほか、経営者としてたいせつな工房の運営や市場の調査も研究されていた。そして一七五九年の独立。
 バルスレムの窯で誕生したのがクリーム色陶器の改良型であった「カリフラワー・ウエア」つまり「グリーン・グレイズ」であった。その後、銅版の転写技術も導入し装飾陶器の先駆者として、ついに一七六五年六月ジョージ三世によって「王家の御用達陶工」の称号が下賜されたのである。

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精緻な手の動きはさすが名人

「今の陶工は、しあわせだね。」
 銀色の髪がキラッと輝くハリー・ロバーツさんが手を休めた。彼は来年二月で定年で、四四年間もジャスパー・ウエアを手がけてきたウェッジウッドの老練な陶工である。
  陶土練り、ロクロ、造形、釉薬、焼成、そして薄浮彫り文様の制作とジャスパー・ウエアは複数の過程をそれぞれの職人が担当する。まだ水分が残っており、乾燥、焼成まえの成型された皿や壺に、厚さ一ミリから二ミリに型どりされた磁片を貼り合わせるのがロバーツさんの仕事。
 「ウーン。たしかにおなじことの繰り返しかもナ。それも四四年もナ。でも不思議と同じ文様にも変化があるんじゃナ。変化がナッ。」とロバーツさんが隠された愉悦を肩のあたりに漂わせていた。彼はその〃変化〃を見て眼が遊び、心も遊んでいるのだ。きっと。四四年も。おおきな手がなんとも器用に、ちいさな磁片をみるみる皿の上に貼り合わせゆく。皿の縁は小花がこきみよく連なり、中央の手をとりあう若い男女像も微妙な凹凸を造形してゆく。精巧な機械でもなしえない、鍛えに鍛えられた職人の指先にのみ内蔵させたセンサーが、頭脳と直結して音もなく皿の上で動くのである。

 

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定年後は絵付教室を開くといっていたロバーツさん

 彼がいま制作しているのはウエッジウッド没後二〇〇周年の記念皿であるが、じつはこの技法は、一万回以上の実験を重ねウエッジウッドが一七七四年に完成した労作中の奥義であった。
   「ジャスパー(碧玉)、それは華麗で繊細な白磁の素焼きで、玄武岩(バサールト)と同質な性質をもつ。そして全体が発色する性質は、過去そして現在においてもほかに例をみないだろう。この素材は、カメオ、肖像、浅浮彫り模様の地として適している。それ自体が色をもつので、釉薬を使うことなく、純白の装飾模様を浮き立たせることができる。」 ウエッジウッドは一七八七年の商品カタログでこうジャスパー・ウエアを定義した。かずかずの名品、名器を世におくったが、彼の最後の偉業はジャスパーをほどこした『ポートランドの壺』であった。オリジナルはローマ時代の青と白のカメオグラスの傑作。五年の試作ののち一七九〇年、古代ギリシャ神話のペーレウスと海の女神テティスの物語を薄浮彫りにした『ポートランドの壺』の第一作が完成した。
 六〇才のときであった──。

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(左) 工場書面にある「ポートランドの壺」を持つウエッジウッドの銅像
(右) 付属美術館に展示してあった「ポートランドの壺」

 「彼の偉大なところはポートランドの壺にあるわ。陶工というより美学者、あるいは美を売る企業家ね。」と、工場の付属美術館を案内してくれるクレアさん。
 バルスレム、エトルリア時代のロクロやボーン・チャイナの主原料となる陶土のサンプルがタングステン光を浴び、創業から年代を追って栄光のかずかずが展示している。
 クレアさんがやはり《ポートランドの壺》の前でピタリと足を止めた。
 「装飾過剰なロココの時代が終わったのね。彼は古典主義的教養も身につけていたので、モチーフを古代ローマに求めたのです。その最初の作品がこの壺で、現在のウェッジウッドのバックスタンプとなってます。」
 この壺やジャスパー・ウエアについてはすでに説明したが、五年の歳月をかけて完成したその技術もすばらしいが、ここで注目しなければいけないのが、クレアさんもいっていたウエッジウッドの古典主義的教養である。
 天然痘の後遺症で逆境にたった彼は、リバプールの商人トーマス・ベントレイとの知遇を得た。彼とは以後共同経営者となるのだが、フランス語、イタリア語も堪能だったベントレイはギリシャ、ローマの古典美術の知識にあふれ、さらに時代思潮も拍車をかけウエッジウッドを古典の世界へと導いた。大陸では新古典主義様式が建築、工芸、美術に流行しかけていたのである。 
 無釉のブラック・バサルトの壺は、古代世界の美を再現したベントレイとウエッジウッドの共作でもあり、彼らは時代の先取りにも成功したのである。
 一七六九年五月、ウエッジウッドはベントレイに手紙を送った。
 自分は「世界の壺つくり将軍(Vase Maker General)」と──。

 

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エカテリーナ2世に献上した
ウエッジウッドの傑作に息を呑む

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年代順に展示された傑作の数々

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優雅な香りがただよう
「コロンビア パウダー ブルー」

 後日、ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館に立ち寄った。ヴィクトリア様式の荘厳なファサードに「WEDGWOOD」の文字が浮かびあがる。一九九五年九月に開催されたウェッジウッド没後二〇〇年を記念した、『天才ウェッジウッド』と題した特別展が開催されていた。
 アースン・ウェアのパイ皿、色の異なる陶土を混ぜて焼かれたマーブル・ウェアのティーポットや壺、一七六八年に発表され「エジプトの黒」といわれ、エトルリア工場で焼かれたブラック・バサールトの壺、そしてトロッとした肌をもち、一躍ウエッジウッドを有名にしたクィーンズ・ウェアなどが整然と展示されていた。しかし思わず息を飲んだのがロシアのエカテリーナ二世(在位一七六二年〜九六年)の注文で製作された晩餐会のためのテーブルウェア、「フロッグサービス」だった。
 エカテリーナ二世はマイセン窯の「スワン・サービス」、セーブル窯の「トルコブルー・ウエア」、ロイヤル・コペンハーゲンの「フローラ・ダニカ」など世界の名窯に当代きってのディナー・ウエアを製作させていた愛陶家でもあった。ところで気になるのが「フロッグサービス」の値段。僕が私淑する陶磁器教授、前田正明氏の試算によると価格は当時の貨幣で約二七〇〇ポンドで、原価は二六一二ポンド。つまりウエッジウッドの儲けは一年費やしてたったの八八ポンドという。
 さらに教授の解説借りると、一七七四年の完成時にロンドンのポートランド・ハウスに製品を展示し話題性を高める、つまり宣伝広告費を考慮すると八八ポンドはけっして安くはない、ということである。シャルロット王妃をはじめ、貴族たちがポートランド・ハウスに押し寄せ、ウエッジウッドはさらに株が上がったのである。まさに女帝の器は、ウェッジウッドの器量そのものであった。面目躍如である。ウム、してやったりである。
   ちなみに「進化論」のダーウィンは、彼の娘の子供であることも教授に教わった。
 美学者、科学者、美術監督、企業家、福祉運動家などさまざな顔をもつジョサイア・ウエッジウッドだが、僕らにとってはやはり、「英国陶工の父」なのである──。

〜 「ウェッジウッド」より抜粋 〜

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最近の新しいシリーズ「ブループラム」

 

 

〜 ウェッジウッドに関する問い合わせ 〜

ウォーターフォード・ウェッジウッド・ジャパン
東京都渋谷区猿楽町11-6
TEL 03-5458-5654  FAX 03-5458-5678

Josiah Wedgwood&Sons Limited
Barslaston Stoke-on-Trent,ST12 9ES England
TEL 01782-204141

 

 

 

Kazarikei

 
merci

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