中公文庫

ヨーロッパ陶磁器の旅

マイセンの歴史はヨーロッパ磁器の歴史そのもの
東洋から輸入される皿と、屈強な兵士が交換される時代
東洋の白に憧れたザクセンの王と
彼によって監禁された錬金術師によって、マイセンの窯は開かれた。
第二次世界大戦後築かれた東西分断の壁も
職人たちの交流までは遮ることはできなかった。
ソーセーシとヘレスビアでマイスタージンガーにプロージット(乾杯)!

 

 

フランス編
ロココの華が生んだ青

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イギリス編
女王陛下の愛した器

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ドイツ編
東洋の白に憧れて

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南欧編
半島の光と影

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北欧編
白夜に咲く藍の花

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トルコ編
文明の交差点に眩惑を感じて

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※ 定価 920円(税込み)

 

第二巻 ドイツ・オーストリア編  CONTENTS
 
はじめに柿右衛門と玉葱便器の出会い  8
初めて共産圏を訪れた頃  アルブレヒト城  14
ザクセンの首都  ドレスデン  23
バロック建築の傑作  ツヴィンガー宮殿  27
錬金術師の産んだ白い肌  マイセン窯  32
女たちの支える窯  SPドレスデン  47
監禁された錬金術師  ケーニッヒシュタイン城塞  53
バロックと市伊万里の調和  モーリツツブルク  57
夏の離宮  ピルニツツ宮殿  63
強引な異文化摂取の姿  サン・スーシ宮殿  67
大王夫人の磁器コレクション シヤルロツテンブルク宮殿 72
ロココに花開いた窯  王立ベルリン窯(KPM)  72
「プロシアの粋」  ヴェルナー・コレクション 85
ゲーテゆかりの「幻の名窯」  ヘキスト窯  88
ある城主のコレクション  96
英国人ブリンセスの城  シュロスホテル・クロンベルク 100
ゲミュートリッヒカイト メンヒス・ポストホテル  104
春を告げる鳥の温かい鳴き声  カッコー時計  107
欧州共同体を産んだホテル ブレナーズパーク・ホテル  111
貴族たちに守られた技術  彫金師  114
日常使いの高級磁器  フッチェンロイター  118
舞台美術家のデザインするライン  ローゼンタール窯  125
マイスタージンガーの街  ニユールンベルク  130
ミユンヘン  137
土地柄出る取材拒否  ニュンフェンブルク  130
昼下がりの似合う街  ウィーン  148
世紀末のエネルギー渦巻く舞踏会  ホーフブルク宮殿  155
ウィーン少年合唱団と同居する窯  アウガルテン窯  159
戦争が作る陶磁の歴史  オーストリア応用美術館  170
ラインハルト・フィヒテ氏と東西の壁  175


マイセンといえば、「ブルー・オニオン」が代名詞。
 

ヨーロッパ初の白色磁器が誕生したアルブレヒト城の勇姿。

 
参考図書
『ヨーロッパの陶磁』(岩崎美術社)
『セラミック・ロード』(朝日新聞社)
『ヨーロッパ陶磁名品図鑑』(講談社)
『ヨーロッパ名窯図鑑』(講談社)
前田正明『西洋陶磁物語』(講談社)
『陶藝の美』(京都書院)由水常雄
『図説西洋陶磁史』(ブレーン出版)
三上次男 『陶磁の道』(岩波書店)
西田宏子『一七・一八世紀の輸出陶磁』(毎日新聞社)
冨岡大二『吉陶磁の見方のコツ』淡交社
『伊万里』(学研) 
『西洋陶磁大観』ドイツ・オーストリア陶磁(講談社)
三杉隆敏『海のシルク・ロード』(新潮社)
三杉隆敏『やきもの文化史』(岩波文庫)


 


アウグスト大王が蒐集した日本の沈香壺。



アル中になったベッドガーの肖像。

Meissen マイセン窯
 
 ヨーロッパ磁器の歴史はマイセンそのものである。時は17世紀、東インド会社を通して招来する中国や日本の磁器は、多くの小国家に分裂していたドイツにあっても、各国王や貴族たちの心を強く誘っていた。
 そこで、登場するのがツヴィンガー宮殿の主であり、「スタルケ(強精王)」の異名をとるザクセンの王、アウグスト大王であり、アルブレヒト城で呑んだくれていた男、ヨハン・フリードリッヒ・ベッドガーである。
 ベッドガーはいわゆる錬金術師として、そこそこに名を売っていたが、錬金術師といえば詐欺師も同然の職業である。石の塊を金塊に、不老長寿の薬や媚薬の調合といった具合に、スポンサーをみつけては遁走する輩が跋扈していた時代だった(なかには、蒸留機を発明しワインからブランデー、ビールからウイスキーを作ったものもいる)。
 ベッドガーもその一人であった。1682年生まれの彼は少年時代からベルリンで錬金術なるものを学び、当時ベルリン周辺を支配していたプロイセンのフリードリッヒ王にもとりついたが、結局は失敗。
 彼の売り込みは、伝説の域を出ないがギリシャの謎の修道僧、ラスカリスから手に入れたチンキ剤で、黄金を作るというもの。
 財政困難にあったザクセンのアウグスト大王もその情報にひっかかり(アウグストは彼を逮捕、連行、という形でドレスデンに連れてきた。)彼を雇うことになった。当然ベッドガーは〃幻のチンキ剤〃の空しい研究を繰り返していたが、しかし、彼は並の〃詐欺師〃ではなかった。
 東洋から輸入される皿と屈強の兵士と交換される時代、ベッドガーは金塊ではなく、それに代わる〃良質の白い磁器〃を造る、とアウグスト大王に建白書を送った。
ヨーロッパ磁器のはじまりであった。


1709年、ヨーロッパで最初に焼かれた磁器。後ろの肖像はアウグスト大王。

 若きベッドガーは、白い肌を求めて研究を繰り返した。
 その間アウグスト大王は、実験内容の漏洩を防ぐため、彼をいくつもの城塞に隔離しつつも、さらに研究に研究を重ねるよう命じた。 1707年11月、最初の手掛かりとなるヤスピス磁器に成功した。これはまだ東洋の透き通るような白いものではなく、日本でいう〃べんがら〃を含んだ土であったため、肌は赤黒いもの。しかしこの技法はすでに、オランダ、イギリスで完成しており、彼はさらに実験を積んだ。白い素地、白い素地、そう願う実験場で、1708年1月15日、彼は窯からでてきた7種の磁片のうち、白く、透明感に溢れる3種を発見したのだった。この自信があとのアウグスト大王への建白書につながったのだろう。
 


柿右衛門を写し続けるワルタン・シーネエル翁。

 1710年1月23日、ドレスデンに王の布告により磁器工房が設立されるが、同年6月6日にこの工房はマイセンのアルブレヒト城に移された。マイセンの最初の白色磁器が人目に触れたのは同年のライプチッヒの博覧会であったが、そのころはまだアウグストが望む量産体制は出来ていなかったのである。 事実上、ヨーロッパ初の白色磁器を完成させたアウグストの欲望は、さらなる質の向上、そしてその技法の流失を防ぐことに向けられ、まず、ベットガーの軟禁に始まった。そんな時代の状況を彷彿とさせたのが、アルブレヒト城の大壁画であったのだ。


ロココの造形はマイセンにも影響を与えた。

 現在の窯は、1865年に建てられた重厚な煉瓦造りで、8年前に訪れた時は、椈が金色に染まっていたのを思い出す。
 あのワルタン・シーネエルおじさんは、今も伊万里の写しを描いているのだろうか。
 彼は伊万里と相対して45年(8年前で)の絵付師で、マイセン窯の長老格である。当時、彼もまた東ベルリンで会った広報部員と同じ質問をいていた。
 「イマリのオリジナルの国の人が、どうしてコピーに興味があるのか」
 もちろん、答えは笑ってごまかしたが、その疑問は今も胸の内にある。 
 蛇足だが、僕の友人に在日のドイツ系米国人がいる。彼の住まいは完璧なハイカラづくしのアメリカン。真っ白な広い壁に絵皿が一枚。それは肌のしまった透き通るような白地に「夕陽に輝く柿の実の色」も鮮やかな赤絵が描かれていた。床映えという、ひとつの審美観があるが、これはモダンとプリミティブの融合、止揚の美しさであったのだ。
 日本の美しさが外国人によって愛され、その裡に、僕らが〃日本の美〃の価値を見いだす??という構造は、ジャポニスムで明らかだ。
 8年間の結論は、「写し」という問題に落ち着きつつあるが、それは次回、ゆっくり展開することにしよう。
 ベットガーは磁器の発明には貢献したが、マイセン窯が現在の地位を獲得したのは、陶画家ヨハン・グレゴール・ヘロルドの働きが大きい。イエナ生まれの彼は、ストラスブール、ウィーンで磁器と壁紙の絵付師をしていた(マイセンの技法をもって逃亡した陶工により、1719年、ウィーンにヨーロッパ第二の磁器窯が完成していた。後のアウガルデン窯である)が、1720年にマイセン窯に招かれ専任の絵付師になったのである。

 

 

 
しっとりとした白と柿右衛門を連想する赤が絶妙。

 


マイセンの街角で。

 

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