さて、4月の歌舞伎座では珍しい配役での「勧進帳」がかかりました。皆様ご存知の「勧進帳」は歌舞伎の演目人気投票No1、しかも時代を問わずダントツの一番なのだそうです。
今回の配役は、弁慶・・片岡仁左衛門、富樫・・中村勘三郎、義経・・坂東玉三郎という面々。このお三方での「勧進帳」を観ようと詰め掛けたお客様で劇場は満員でした!
「勧進帳」は芝居内容もさることながら、長唄が大変素晴らしいことでも有名です。『旅の衣は鈴かけの 旅の衣は鈴かけの 露けき袖やしおるらん。時しも頃は如月の如月の十日の夜月の都を立ちいでて・・・』ここは長唄をたっぷりと聴かせます。
いよいよ花道から義経一行が登場。山伏を一人たりとも通してはならない!と厳命を受けている関守富樫の守る安宅の関、何としてもこの関所を無事に通り奥州へ逃れたい弁慶率いる義経一行との壮絶な駆け引きの始まりです。
東大寺再建のための勧進(寄付)の旅という弁慶に、それならば勧進帳をよんでみよという富樫。もとよりあるはずもない勧進帳を弁慶はとうとうと諳んじます。(ここは見せ場のひとつです。)
それでも納得しない富樫は矢継ぎ早に仏教についての質問を繰り出しますと、弁慶は丁々発止と見事な受け答えで切り返します。
切り抜けたと思ったその時、関所の番卒が編み笠の中の義経の顔に気がつきます。絶体絶命!・・・弁慶は「愚かな強力(荷物運び)め!」と主君である義経を杖で打ち据えます。
当時は主君を杖で打つなど決してありえないこと。富樫は弁慶がそこまでして義経を守りたいのか、と主従の絆の深さに強く心をうたれます。
富樫は義経と知りながら一行の通行を許可します。更に道中の無事を祈って「人の情けの酒宴」で一行をもてなします。弁慶は返礼に「延年の舞」を披露………
『面白や山水に 面白や山水に杯を浮かべては水に引かるる曲水の手まずさえぎる袖ふれて・・・』この踊りの振りの中で弁慶は「早く行け」と一行に合図をします。
一行は弁慶を残し足早に奥州へと急ぎます。ここで下手に弁慶を残したまま定式幕が閉まります。弁慶は富樫への感謝をこめて舞台に向かい深々と一礼します(富樫は自らの命をかけて一行を逃したのです)次に客席に向かい一礼。
そして東西南北と天地を鎮めるという、まさに全身全霊の演技「飛び六法」で豪快に花道を飛んでいきます。まさに最高の人気演目の最高の瞬間です!花道の幕が閉まった瞬間「はぁ〜」と心地よい脱力感があり、何度観ても本当に感動してしまうのです。さすがに人気No1ですよね!
さて、日本人が愛して止まないこの「勧進帳」ですが、海外公演ではあまり人気がないそうです。要するに謀反人の一行を見逃したというだけのストーリーに何故そんなに感動するのか?ということらしいのです。
こちらからすればなんで感動しないのか?な気もいたしますが、やはり歴史的な背景がないということが原因の一つなのですね。
それから日本人は悲劇の英雄が大好きで「判官びいき」という言葉は義経から来ている言葉です。不遇な幼少時代から華々しく時代の表舞台に登場した義経は、実の兄である頼朝の命によって命を落とします。
鎌倉幕府を樹立した頼朝の陰で散っていった若き英雄を人々は忘れることなく語り継ぎ、やがてお能の「安宅」、歌舞伎の「勧進帳」になりそれら舞台の上で活躍させたのでしょう。
しかしながら「勧進帳」の主人公はあくまでも弁慶です………
このあたりに??を残しながらそろそろ幕といたしましょう。
平成二十年五月二〇日