淺岡敬史

 

玉さまぁ ——

「狭い楽屋ですが、お待ちいただけますかぁ。すぐ着替えます。」

風呂上がりに浴衣姿の玉さまと廊下ですれ違ったのは、もうかなり前のことだ。ぷーんと石鹸のよい香りが、彼の後をおうように通り過ぎたのを思い出した。

僕の興味は反ソの姿勢を生涯崩さず「灰とダイヤモンド」や「地下水道」 で知られるポーランドを代表する映画監督、アンシエイ・ワイダ氏だった。監督はドストエフスキーの『白痴』に材をとった『ナスターシャ』を、坂東玉二郎を主役にすべく日本上演交渉のため来日。

「ナスターシヤの神秘性を演じきれる女優が欧米にはいなかった」 とワイダ氏。

 

「えっ、あれは男か。」と叫んだ。

彼は京都で玉三郎の「椿姫」の舞台(1979年)を見て確信したのである。

「玉さま」は、僕と同じ昭和25年生まれ。彼の笑顔、若かったなぁ。そして僕も若かったのだ。汗笑)

 

で、なぜ「玉さま」かとなるわけだが、大河ドラマでの「正親町天皇」役として出演しているからだ。なんでもテレビドラマは初という。主人公の光秀とのやりとりに興味があった。

優美で、マジカルでミステリアスな坂東玉三郎 ———か 。視聴者から「神キャスティング」との声も上がっているようだ。なるほど。

戦が日常だった時代、どんな大名も常に自己矛盾、自己否定の連鎖にあって、そんな世の中での正親町天皇のお気持ちや如何に、である。

 

それにしても光秀の「天がしもしる」 なのだ。

「天がしもしる」の根本のコトバは『古事記』にある歴代天皇の「天の下治らしめしき」だ。明らかに天皇親政への回帰を唱ったのが光秀の発句なのである。

「本能寺の変」は義挙だった、との先輩の意見を熱烈に支持したい。

 

令和三年一月八日

淺岡敬史

 

<秀明さん>
 

 

林住期

寺友の秀明さんは、ごくごく普通のお勤めの方だが、仏教はハンパじゃない。
学生時代の登山部で度胸を我がものに。真冬のオホーツクの流氷から滑落して海に ———— という経験などなどもあり、現在は母校登山部の監督でもある。とても残念ながら裸体はお披露目いただいていないが、おそらく金剛力士像ばりの筋骨隆々かも知れないな。

彼は公私が統一された肉体派の仏教徒だ。

 

お経も漢語、梵語ではなく、パーリ語なのである。「南伝上座部仏教」云々の経典で使用される言語だが、ま、そのあたりは難解なのでスルーしよう。

正月元旦六時から鐘つきを撮った。昨年だったら除夜の鐘の流れで境内はこの時間でも賑やかだが、さすがに今年は誰一人いなかった。

 

 

彼から年賀状を手渡しでいただいたが、林住期 との覚悟も書かれていた。聞くと、400坪の竹林をすでに確保しており、自力で御行屋を建てるという。

設計・図面はもちろん「方丈庵」そのものなのだ。

 

淺岡敬史

 

 

仏印、どちらの牛が幸せか。

——— 夏といってもさすがにアルプスの麓とあって、ちりりとした風が冷たく、カラン、カランとカウベルの澄んだ音とゆったりと牧草を食む牛たち。———とかつて書いたことがあった。隣の編集者は「こんな環境で育って幸せそう。」と目を細めていた。

 

でも天寿を全うできない動物は彼ら家畜たちだ。かたや道端でウロウロする薄汚れた印度の牛たち。

さてさて、僕が牛だったら、どちらを選ぶだろうか。

 

令和三年正月元旦

淺岡敬史

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