白梅から桃の花へ。 「あら、おひなさまですね。」 一重咲きの桃の小枝をいただいた途中に、いつもの薬局へ某剤調達で立ち寄ったら、空世辞が上手い薬剤師が妙に快活いっぱいに明るい。 「ええ、三人官女マニアなんで・・・・・」
貝合せ。 ひな祭り道具のひとつに蛤。 僕はある代物弁済の流れで蛤の貝合風っぽいのがあるが、その意味にはとんでもないことが含まれているそうな。 ま、諸氏殿、検索あれ。
高望み礼讃。 中古本の漫画を買った。星空を見つめるワン公のお話。 つまり目の前のエサではなく、手に入らない世界を欲しがっているのだ。 高望みのワン公。 でも、その漫画家は、 人間さまにも持続的高望みを推薦しているから厄介だ。 「生きるって無駄だらけなんだ。」と、かなり暴力的言葉で締めていたが、正しいかも。
令和三年二月二十三日 |
今はただ、一心に皮をむいた。 「茶室前の夏みかんは、いまごろが食べごろなんです。」 自称「囲碁の達人」。花屋の丹那さんから、20コほどいただいた夏みかん。 ネットで調べると4月から5月ころが食べごろと書いているが、ここのは確かに今が「旬」。じっさい、10年以上前からいただいているのだが、節分あたりが食べごろなのである。 結局、50コ以上は喰ったが、木にはまだまだ・・・・・なのである。 早朝爺婆にお分けしようとしたが、口、鼻、目などすべてをゆがめてスッパイって感じでご辞退と相成った。
令和三年二月十八日 |
英国の琳派 「製品には完全なアルコール消毒しております。」の但し書きが当世風で、なかなかの緊張感があった。その昔、現地で撮影の折には、保険会社の自賠責・物損事故保険カードを先方にアピールしていたのが懐かしい。
某名窯のカップ群だが、何故か金ピカでも落ち着きがあったな。微妙な浮き彫り具合が絶妙な陰翳をつくった。学芸員の説明では、やはり光悦、琳派に憧れていたデザイナーだったらしい。元禄真っ只中、蒔絵などにボテッとした金盛りが多いので、日本画というより油絵のノリだから、欧州人には入りやすいのかもしれない。 こんなカップで客人に普段顔でサービスしたら、威圧感あるだろうな。汗笑)
令和三年二月十日 |
鬼が嫌う鰯と福が悦ぶ朱杯に白梅を浮かべて・・・・・ 生臭さを嫌って鬼が寄りつかないらしい。で、白梅が浮かんだ朱杯には福が寄ってくると真顔での祖母だった。(なんとなく覚えているのだ。) でも鰯は今では背中が青い魚の代表で、刺身でもいける。栄養価はかなり高い。 ま、鰯の竜田揚げと朱杯があれば、鬼や福でもないだろう。 なるほど、梅一輪一輪ほどの暖かさ、か。 |
鬼は内。
撮影用のアラザンなどが余ったので、アイス、生クリームに振りかけた。
鬼婆、鬼嫁とは聞くが、鬼爺、鬼婿とはいわないな。 何故だろう。 曽我蕭白の鬼を描いたふすま絵を見たことがあるが、怖いというより愛嬌を感じたな。鬼婆、鬼嫁も視点を変えれば愛嬌を感じることもあり得そうだ。 ようは人の思い込みは怖いという事なんだろうな。もしかしたらSNSあたりが鬼そのものかも知れない。 仏典にも鬼を使った語彙がよく出てくるが、怖いのは、やはり生身の人間だろうよ。 鬼は人を食べたりしないが、人は人を喰うよな。
僕が生まれた年に公開された映画「羅生門」はアカデミー賞をはじめ世界の名だたる賞を獲得してる。何度も観てるが、「疑心暗鬼」とは何ぞや、と教わった。 鬼は身近にいたほうが、いろいろ勉強になりそうだ。 「鬼はぁ内っ」なのである。
令和三年二月二日 |
一器三様。 「マイセンだろうが柿右衛門だろうが、使いこなすことが造り手への敬愛よ。」 柔らかい笑みを刻みながら、けっこう語気が強い お茶人、斎藤宗厚先生 の言葉は今も忘れない。 お汁粉、フルーツゼリーなど、いろいろ遊ばせていただいてるのだ。 なるほど、「器量」ということか。「名器の雑器化」と何度も語り原稿に書いていたが、使いきることが造り手だけではなく、自分への思いなのかもしれないな。
令和三年一月二十七日 |
道端のペコちゃん。 銀座の一等地にあったペコちゃん本店が、ワケあって我が家近くに。 洋菓子といえばショートケーキだ。小学生のころの舌の音色が不二家から始まったのを初めて知った。
昔の仲間と「間合い宴会」がつづいている。ペコちゃんの福袋を何組か買っていたので、土産物に渡したら、子供たちに大ウケだったらしい。銀座の一等地ではないが、道端のペコちゃんは不滅なのである。
令和三年一月二十日 |
玉さまぁ —— 「狭い楽屋ですが、お待ちいただけますかぁ。すぐ着替えます。」 風呂上がりに浴衣姿の玉さまと廊下ですれ違ったのは、もうかなり前のことだ。ぷーんと石鹸のよい香りが、彼の後をおうように通り過ぎたのを思い出した。 僕の興味は反ソの姿勢を生涯崩さず「灰とダイヤモンド」や「地下水道」 で知られるポーランドを代表する映画監督、アンシエイ・ワイダ氏だった。監督はドストエフスキーの『白痴』に材をとった『ナスターシャ』を、坂東玉二郎を主役にすべく日本上演交渉のため来日。 「ナスターシヤの神秘性を演じきれる女優が欧米にはいなかった」 とワイダ氏。
「えっ、あれは男か。」と叫んだ。 彼は京都で玉三郎の「椿姫」の舞台(1979年)を見て確信したのである。 「玉さま」は、僕と同じ昭和25年生まれ。彼の笑顔、若かったなぁ。そして僕も若かったのだ。汗笑)
で、なぜ「玉さま」かとなるわけだが、大河ドラマでの「正親町天皇」役として出演しているからだ。なんでもテレビドラマは初という。主人公の光秀とのやりとりに興味があった。 優美で、マジカルでミステリアスな坂東玉三郎 ———か 。視聴者から「神キャスティング」との声も上がっているようだ。なるほど。
戦が日常だった時代、どんな大名も常に自己矛盾、自己否定の連鎖にあって、そんな世の中での正親町天皇のお気持ちや如何に、である。
それにしても光秀の「天がしもしる」 なのだ。 「天がしもしる」の根本のコトバは『古事記』にある歴代天皇の「天の下治らしめしき」だ。明らかに天皇親政への回帰を唱ったのが光秀の発句なのである。 「本能寺の変」は義挙だった、との先輩の意見を熱烈に支持したい。
令和三年一月八日 |
林住期 寺友の秀明さんは、ごくごく普通のお勤めの方だが、仏教はハンパじゃない。 彼は公私が統一された肉体派の仏教徒だ。
お経も漢語、梵語ではなく、パーリ語なのである。「南伝上座部仏教」云々の経典で使用される言語だが、ま、そのあたりは難解なのでスルーしよう。 正月元旦六時から鐘つきを撮った。昨年だったら除夜の鐘の流れで境内はこの時間でも賑やかだが、さすがに今年は誰一人いなかった。
彼から年賀状を手渡しでいただいたが、林住期 との覚悟も書かれていた。聞くと、400坪の竹林をすでに確保しており、自力で御行屋を建てるという。 設計・図面はもちろん「方丈庵」そのものなのだ。
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仏印、どちらの牛が幸せか。 ——— 夏といってもさすがにアルプスの麓とあって、ちりりとした風が冷たく、カラン、カランとカウベルの澄んだ音とゆったりと牧草を食む牛たち。———とかつて書いたことがあった。隣の編集者は「こんな環境で育って幸せそう。」と目を細めていた。
でも天寿を全うできない動物は彼ら家畜たちだ。かたや道端でウロウロする薄汚れた印度の牛たち。 さてさて、僕が牛だったら、どちらを選ぶだろうか。
令和三年正月元旦 |