淺岡敬史

 

窓越しの端午

格子窓に引かれるようになったのは、いつごろからだろうか。記憶がはっきりしているのは金沢・郭での撮影で、妙にツボにはいったのを覚えている。おそらく格子窓が不思議な結界に感じたのだろう。その窓のフレーミングは、写真でいうと構図にあたるのである。つまり窓越しの話になるのだ。

 

節句飾りの途中、チカッと妙案が閃いたような気がした。華麗なレトリックを妄想、つまりフォトレタッチなのであった。フランス映画はシーツの皺さえもアートに仕上げるが、和紙の切れっ端を利用してのフレーミングだ。

うん、なかなかよい。

不屈の図々しさが潜んでいるようなニャン公もおさまった。

幼い虚栄心はいまだに消えないが、その思いつきに興奮した。 

嗤うなら、嗤え。汗笑)

 

令和三年五月四日

淺岡敬史

 

 

淺岡敬史

 

著作ということ・・・・・

写真の権利で生きていることは、他人さまの権利を尊重するのは当たり前というか義務だろう。

しかし権利、義務との間にあるモヤモヤしている×××が厄介なのである。だからこそ法律があるのだろうが、これも話し合いでも決着がつかないことが多々あるのも事実。

一応、国際的にも約束事があるが、有名無実なのが実態だ。歴史的にみても国連決議なんて、さらに怪しい。

 

———— 写真を参考にイラストを描きたいのですが、いかがでしょうか。——————

こんなメールが数年前にきたが、もちろん、「どうぞ、どうぞ。」だ。

「あのイラストはアンデルセンが描いたので、彼も喜んで快諾してくるれでしょう。」と返信した。

おなじような問い合わせが、年に2,3回はくる。

返信は、やはり非営利に限り二次創作物は、「どうぞ、どうぞ。」なのである。

 

 

淺岡敬史

 

手強し「帯」

この中公文庫シリーズ全6巻は絶版になって久しいが、ときどきAmazonのユーズドで買う。

本ではなく、この帯だけを褒めてくれたのは、オフクロだった。汗笑)

ま、オフクロにおいては、始終、僕は消耗しつつも森蘭丸を演じていた。

 

令和三年五月一日

淺岡敬史

 

淺岡敬史

 

フェルメール ブルーよりデルフト ブルー

久しぶりにデルフト窯の写真探し。
オランダの写真もデジタル化しDVDに保存していたが、そのDVDがまったくMacにマウントされない。知人友人のWinパソコンでも反応なしだった。使用媒体は文章中心なので著作からの複写で事は済んだ。

愛好家のなかでデルフト ブルーと呼ばれる染め付陶器は世界的にも人気があるが、フェルメール ブルーには叶わないだろうよ。フェルメールは生まれ故郷のデルフトであの少女の絵を描いた。

現物を見に美術館にいったら、二時間待ち。

で、そく少女をスルーして隣の動物園のゴリラに会いに行った。なんでも入場者100万人を越えた日本公開だったらしい。

 

 

 

淺岡敬史

 

映画『真珠の耳飾りの少女』

こちらのDVDは健在だった。ふたたび観た。自然光のみで撮り、モノクロームのような色使いがうつくしいと再認識した。成金国家であったオランダの豊かな家庭環境にあったフェルメールと「召使い」の少女とのやりとりが事実のように描かれているが・・・・・。

映画では意地悪なフェルメールの娘に実家から持ってきた大切なデルフトタイルを壊されたり、醜悪なパトロンの家に飾ってあったデルフト窯の沈香壷など印象的な場面が数々。

 

この時代、多少の年代の差はあるが日本では小堀遠州、俵屋宗達、本阿弥光悦、野々村仁清らが活躍していた。今思えば、絵画もふくめ文化の継承、再創造のなんたるかを示唆するような少女像人気でもあったわけだ。

 

 

オランダには何度か撮影に行っているが、フェルメールの『牛乳を注ぐ女』しか興味がなかった。白い頭巾をかぶったデップリとした「女」もいいが、関心は彼女が手に持つその朽ちかけた器をマクロ撮影することにあった。アムステルダムの国立美術館の学芸員が何故、少女像に無関心なのか不思議がっていたのを覚えている。

それにして、あの少女はどうしてターバンを巻いていたのだろうか。

そのわけを検索しても、まったくヒットしない。

 

令和三年四月二十二日

淺岡敬史

 

 

 

淺岡敬史

 

手だって欺く

上手下手、手続き、手順、手配、手落ちに手ぬかり、手違いさらに手くばり、手なれ、そして手腕に手当。もっと挙げれば読み手に聞き手、書き手、騎り手、造り手と日本語には手に因む言葉は大変な数になる。つまり機械と違い人間の手は、いつも直接に心のありようと繋がっている証しでもある・・・・・と、かつて何度も原稿に綴った。

「明日の世紀は、手の世紀となるだろう」「手で考える」と手を表現したランボーだが、僕もいつからか職人たちの手に集中的にレンズを向けていたな。

口、目さらに涙だって人を欺くが、手は正直でもあると念に念を重ねた。

土まみれの陶工の手、磁器小像を焼成する繊細な手は、信仰に近い被写体でもあったのだ。

 

で、我が「手」はいかに。

うむ、自分を欺いているな。

幸福度の沸点を下げる、つまりハードルを地下に潜らせるほどの決意があれば、我が「手」は正直になるのかもな。ここは朝陽から セロトニン の力を借りて「おひとりさま耽溺」という業を思案してみよう。

今は、虚実のはざまか。

うーん、自分軸の構築かぁ。

令和三年四月十日

淺岡敬史

 

沢木瑠璃

 

黒衣聖母と進駐軍

ハラリ、ハラリと落ちる芥川龍之介、黒衣聖母の綴り経本 ・・・・・ あたりを圧した 朗読 だった。

会場となった岩崎博物館付属ゲーテ座は、日本で初めて『ハムレット』を上映した劇場で、芥川や北村透谷も通ったと解説書にあった。それにしても聖母の台座に刻印された文言だ。

 

aDESIRE FATA DEUM LECTI SPERARE PRECANDO…

(汝の祈祷、神々の定めたもうところを動かすべしと望むなかれ)

淺岡敬史

で、で、会場近くの横浜グランドホテルなのである。進駐軍御大将の手垢の確認だ。「ぎぶ みー ちょこれぃと」の卑しさは今の僕にもあるが、東京裁判の落とし前をキッチリ欲しいところだ。

 

 “Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.”

御大将が昭和26年(1951)5月3日に、アメリカ上院軍事・外交合同委員会で公文書として保管されている証言だ。聖書に手をおき宣誓した御大将は敬虔なクリスチャンであった。

「神々の定めたもうところ・・・・・」

うん、黒衣観音の魔術、かなりビミョーなのである。

 

じつは朗読と同じく関心があったのは「マックイーン呑み」のやり直しにあったのだ。「マックイーン呑み」とは60年前あたりに流行ったテレビドラマの『拳銃無宿』で主人公を演じたスティーブ・マックイーンがバーカウンターでバーボンを一気にあおり立ち去るカウボーイの「流儀」なのだ。函館から上京した僕の目的のひとつが、横浜グランドホテルのバーでの「マックイーン呑み」だった。

18歳の少年には無理があった。むせて咳き込んだ僕を見て、バーテンダーは黒衣観音のような冷ややかな笑み浮かべたのだった。とうぜんだろうが52年前のバーの面影はなく、デパートのように混んでいたので、「マックイーン呑み」もどこかに消えちゃった横浜だった。

 

令和三年四月一日

淺岡敬史

 

 

淺岡敬史

 

花泥棒と110番通報

境内にあるつばきを早朝に「盗んだ」ら、通りがかった女性から110番通報された。

「お寺の花を採ってる人がいる。至急、来て欲しい ——— 云々 ——— 」だけで終わらず、長々と話している。

「すぐそばに交番があるので、行きましょうよ。」

と思わず云ったら、一瞬キョトンとして、ふたりで交番へ。毎朝会うお巡りさんが不思議そうな顔で彼女の抗議を聞いていたが、ほそ面に背筋がきれいな婦警さんが彼女にいろいろ質問して、事はおわった。

「お寺の許可はもらってますけど。」と云えばいいものを、110番の顛末に週刊誌的興味で流れに素直にしたがったのだ。知人の警察官に聞いたら、「マニアによる一方通行のおしゃべり」は、ストレスの原因になるらしい。

 

つばきは、がく片、花托あたりの手触り感も楽しんでいる。で、よく、ポロッととれたりもする。

 

自分の原則を他人から少しでも外されると小さなパニックを起こす人が時々いるが、お互い同じスタンスだったらケンカになるのだろうな。戦争も同じメカニズムのような気がするけど。

 

白椿の花言葉は「完全なる美しさ」「至上の愛らしさ」らしいが、花だから許されるのだろうよ。

 

令和三年三月十八日

淺岡敬史

 

 

淺岡敬史

 

クレヨンを探すんだ。

もう10年だ。

東京でブルゴーニュのワインを試飲しつつ撮影していた時だった。
揺れに揺れた。

ロブマイヤーの高級クリスタルの輝きが、歪んだのを覚えている。テレビニュースを見ても理解が追いつかなかったのが事実だった。

 

 

2011 311 1426 から花咲くころ、どこまでも優美なクリスタルの撮影はつづいていたが、花巻に飛んだ。
桜、満開。水仙が咲き乱れる「遠野物語」の天国のような世界を眺めつつ車で少し下ると、そこは地獄だったのだ。
地震、津波、大火災と三重苦の大槌町。自動車さえ溶けていたのに「クレヨンを探す」というお孫さんと一緒のおばあちゃんと出会った。なにがなんでも、クレヨンなのである。

支援物資なのか、お孫さんは真新しいキティブランドですっぽり覆われていたが、現場との対比が痛々しさをさらに増しましていた。

 

 

ポートレート撮影のポイントは、瞳に映るキャッチライト。東京に戻って大伸ばしたモニタに映った少女の瞳を見て、はっと眼が座った。映っていたのは、憎いほどの青空と地獄そのものだった。

ロブマイヤーの優美な光沢と少女の瞳が重なった。

この強烈に相反するふたつの映像は、僕のなかでは自家撞着ではあるだろうが、統一された「事実・真実」なのである。

皮膜のような岩盤に乗かった日本列島の善悪、醜美そして天国と地獄かぁ。

泥のように酔っても、記憶の風化は、断じてない。

 

仮設トイレのとんでもない状態を目の当たりにして、はじめて被災者の方々の現実に触れた衝撃だった。

淺岡敬史

 

強風の中、けっこう危険な状態だったが、車から降りて消防車をしばらく見つめていた櫻井よしこ氏。

果敢な取材姿勢は、ある美しさをも伴いつつ一刀両断の論説の訴求力が証明しているが、世間さまは、冷たい視線を浴びせているのも事実。部分的ではあるが、僕は断固櫻井よしこ氏を支持する。

 

繰り返し放映される津波のあのシーン、今見ても映画のワンシーンに思えるのが辛い。

所詮、他人事なのだろうか。

 

 

 

淺岡敬史

 

Fukushima 50

 

福島第一原発に掲げられた寄せ書きに涙した。

カメラマンはその視点に客観性を失ったらダメと云われているが・・・・・

なに、客観性を高らかにうたうニュース写真も時間軸によっては、平気で大ウソをつくのであるのだよ。

 

「フクシマのサムライたち」と世界が報じたが映画になった。

『Fukushima 50』

新左翼の間でカリスマ的存在であった糸井重里氏さえも「約2時間ぼくは泣きっぱなしだった。」とツイートしていたが、原作者が気にくわないのか、

「作業員らの決死の行動がまるで戦時中の特攻隊を彷彿させることは疑問。」

「戦後日本への道をなぞり、迷いなく美化するような展開に呆然とした」

「この作品は検証や哀悼や連帯ではなく、動揺や怒りや対立を呼びおこす」

「自然を甘く見ていたというだけの結論。何を隠蔽したいのか。若松監督、承知の上の仕事か」

などなどと、映画批評家がつづくのだ。

ま、いっか。

僕も泣いたよ。

淺岡敬史

 

「恭子、生きろというのか」

エンケンさん、東日本大震災の実話に基づくドラマは胸底に響きました。

寒い海上で救助されるまでの三日間、実際のニュース映像を交えながらの「星影のワルツ」、素晴らしい演技でした。

我ながら満足したワンショット。(マネージャーさんの物腰、感じ入りました。)

公開させていただきます。

 

令和三年三月十一日

淺岡敬史

 

 

 

 

淺岡敬史

我が愛と性を語る・・・・・

2週間の生活環境を確認し合い、いざ、呑みつつ語ろう、と相成った。
北斎の肉筆、弘法大師疫病退治図からはじまり、ワンテーマは約20分あたりだったろうか。35年ほど前は、全会話を録画し「ビデオ交遊録」 なるモノをつくっていたが、久しぶりに撮った。今はビデオ、ムービーではなく「動画」と日本語表現になるのも不思議だな。

話は「魚とは語ったことがない。」という京都の和尚の話から、アッシジのサンフランチェスコ、その弟子のクララ、そして良寛とその弟子と。つまり師弟愛は恋愛に飛ぶか、という俗の集約に始終した。

淺岡敬史

 

2年ほど前のことだ。東海北陸自動車道で天生峠を下った飛驒の山奥で、お地蔵さん、墓石が円陣をくんでハンカチ取りをやっていた。

この写真をあらためて見て、思わず片道3000歩。

墓に参じ献杯した。

 

淺岡敬史

淺岡敬史

 

「俗」

「えっ、八十四刷。印税は誰がもらってるの。」

S潮社の編集者に向かって思わず興奮したガチガチのクリスチャン氏。そう、鏡花さまの「高野聖」だ。

文学とは縁遠い僕ではあるが、その「素材」にはいろいろ興味がある。飛驒深山天生峠でのできごとが物語のクライマックスだが、僕の興味は登場する坊さまが、なぜ真言密教なのか。またなぜ真言密教を否定した鎌倉仏教の曹洞宗総本山の永平寺に高野山から向かったのか、なのである。

 

鏡花さまの取材ノートらしきものを検索したが、いっこうにヒットしない。
で、「天生峠」なのである。この峠 、じつは「野麦峠」なのではないか、と編集氏はガンガン迫ってきたのである。ちょうど知人に映画「野麦峠」の関係者がいたので、話題は製糸工女など無原則に広がっていった。

 

「私は今こそ鏡花再評価の機運が起るべき時代だと信じている。そして、古めかしい新派劇の原作者としてのイメージが払拭された果てにあらはれる新らしい鏡花像は、次のようなものであることが望ましい。
すなはち、鏡花は明治以降今日にいたるまでの日本文学者のうち、まことに数少ない日本語(言霊)のミーディアムであって、彼の言語体験は、その教養や生活史や時代的制約をはるかにはみ出してゐた。(略)前衛的な超現実主義的な作品の先蹤であると共に、谷崎潤一郎の文学よりもさらに深遠なエロティシズムの劇的構造を持った、日本近代文学史上の群鶏の一鶴……」

三島せんせいの言葉で 「俗」の勘ぐりはやめにしよう。

なんとなくの仏教徒も、なんとなくお静まりになり、お開きに相成った。

 

令和三年三月五日

淺岡敬史

 

淺岡敬史

 

白梅から桃の花へ。

「あら、おひなさまですね。」

一重咲きの桃の小枝をいただいた途中に、いつもの薬局へ某剤調達で立ち寄ったら、空世辞が上手い薬剤師が妙に快活いっぱいに明るい。

「ええ、三人官女マニアなんで・・・・・」
と、とぼけたら、真にうけられて困った。
で、そのバツを隠すべく、レッド オン レッドのノリで桃酒と相成った。

 

貝合せ。

ひな祭り道具のひとつに蛤。

僕はある代物弁済の流れで蛤の貝合風っぽいのがあるが、その意味にはとんでもないことが含まれているそうな。

ま、諸氏殿、検索あれ。

 

高望み礼讃。

中古本の漫画を買った。星空を見つめるワン公のお話。

つまり目の前のエサではなく、手に入らない世界を欲しがっているのだ。

高望みのワン公。

でも、その漫画家は、 人間さまにも持続的高望みを推薦しているから厄介だ。

「生きるって無駄だらけなんだ。」と、かなり暴力的言葉で締めていたが、正しいかも。

 

令和三年二月二十三日

淺岡敬史

 

 

 

 

今はただ、一心に皮をむいた。

「茶室前の夏みかんは、いまごろが食べごろなんです。」

自称「囲碁の達人」。花屋の丹那さんから、20コほどいただいた夏みかん。

ネットで調べると4月から5月ころが食べごろと書いているが、ここのは確かに今が「旬」。じっさい、10年以上前からいただいているのだが、節分あたりが食べごろなのである。

結局、50コ以上は喰ったが、木にはまだまだ・・・・・なのである。 早朝爺婆にお分けしようとしたが、口、鼻、目などすべてをゆがめてスッパイって感じでご辞退と相成った。

 

令和三年二月十八日

淺岡敬史

 

淺岡敬史

 

英国の琳派

「製品には完全なアルコール消毒しております。」の但し書きが当世風で、なかなかの緊張感があった。その昔、現地で撮影の折には、保険会社の自賠責・物損事故保険カードを先方にアピールしていたのが懐かしい。

 

某名窯のカップ群だが、何故か金ピカでも落ち着きがあったな。微妙な浮き彫り具合が絶妙な陰翳をつくった。学芸員の説明では、やはり光悦、琳派に憧れていたデザイナーだったらしい。元禄真っ只中、蒔絵などにボテッとした金盛りが多いので、日本画というより油絵のノリだから、欧州人には入りやすいのかもしれない。

こんなカップで客人に普段顔でサービスしたら、威圧感あるだろうな。汗笑)

 

令和三年二月十日

淺岡敬史

 

淺岡敬史

 

鬼が嫌う鰯と福が悦ぶ朱杯に白梅を浮かべて・・・・・

生臭さを嫌って鬼が寄りつかないらしい。で、白梅が浮かんだ朱杯には福が寄ってくると真顔での祖母だった。(なんとなく覚えているのだ。) でも鰯は今では背中が青い魚の代表で、刺身でもいける。栄養価はかなり高い。

ま、鰯の竜田揚げと朱杯があれば、鬼や福でもないだろう。

なるほど、梅一輪一輪ほどの暖かさ、か。

淺岡敬史

 

鬼は内。

撮影用のアラザンなどが余ったので、アイス、生クリームに振りかけた。
福豆とミスマッチだが、ま、いっか。この二つのカップはオペラ「魔笛」をモチーフとしているが、その三昔前あたりに「魔笛」、ウイーンのカフェなどに話題をふりつつ強引に売り込みを計った強烈営業用ツールでもあったのだ。
浮き彫りに造形されたソーサー、またカップが極薄のも魅力だ。

 

鬼婆、鬼嫁とは聞くが、鬼爺、鬼婿とはいわないな。

何故だろう。

曽我蕭白の鬼を描いたふすま絵を見たことがあるが、怖いというより愛嬌を感じたな。鬼婆、鬼嫁も視点を変えれば愛嬌を感じることもあり得そうだ。 ようは人の思い込みは怖いという事なんだろうな。もしかしたらSNSあたりが鬼そのものかも知れない。

仏典にも鬼を使った語彙がよく出てくるが、怖いのは、やはり生身の人間だろうよ。

鬼は人を食べたりしないが、人は人を喰うよな。

 

僕が生まれた年に公開された映画「羅生門」はアカデミー賞をはじめ世界の名だたる賞を獲得してる。何度も観てるが、「疑心暗鬼」とは何ぞや、と教わった。

鬼は身近にいたほうが、いろいろ勉強になりそうだ。

「鬼はぁ内っ」なのである。

 

令和三年二月二日

淺岡敬史

 

淺岡敬史

 

一器三様。

「マイセンだろうが柿右衛門だろうが、使いこなすことが造り手への敬愛よ。」

柔らかい笑みを刻みながら、けっこう語気が強い お茶人、斎藤宗厚先生 の言葉は今も忘れない。
心持ちの変化をいつも促してくれるお人だった。 なかでも極めつけの発想が「一器三様」だ。食器棚をあけると無限に様変わりしそうな器たちが、こちらを一瞥してるではないか。

お汁粉、フルーツゼリーなど、いろいろ遊ばせていただいてるのだ。

なるほど、「器量」ということか。「名器の雑器化」と何度も語り原稿に書いていたが、使いきることが造り手だけではなく、自分への思いなのかもしれないな。
撫でるように確かめる食卓・・・・・いいなぁ。

 

令和三年一月二十七日

淺岡敬史

 

淺岡敬史

 

淺岡敬史

 

 

道端のペコちゃん。

銀座の一等地にあったペコちゃん本店が、ワケあって我が家近くに。
そう、あのTBSの捏造報道によって、経営が悪化したのだ。社員たちの無念さがよく理解できる。

洋菓子といえばショートケーキだ。小学生のころの舌の音色が不二家から始まったのを初めて知った。
買いに走った。

 

昔の仲間と「間合い宴会」がつづいている。ペコちゃんの福袋を何組か買っていたので、土産物に渡したら、子供たちに大ウケだったらしい。銀座の一等地ではないが、道端のペコちゃんは不滅なのである。

 

令和三年一月二十日

淺岡敬史

 

 

淺岡敬史

 

玉さまぁ ——

「狭い楽屋ですが、お待ちいただけますかぁ。すぐ着替えます。」

風呂上がりに浴衣姿の玉さまと廊下ですれ違ったのは、もうかなり前のことだ。ぷーんと石鹸のよい香りが、彼の後をおうように通り過ぎたのを思い出した。

僕の興味は反ソの姿勢を生涯崩さず「灰とダイヤモンド」や「地下水道」 で知られるポーランドを代表する映画監督、アンシエイ・ワイダ氏だった。監督はドストエフスキーの『白痴』に材をとった『ナスターシャ』を、坂東玉二郎を主役にすべく日本上演交渉のため来日。

「ナスターシヤの神秘性を演じきれる女優が欧米にはいなかった」 とワイダ氏。

 

「えっ、あれは男か。」と叫んだ。

彼は京都で玉三郎の「椿姫」の舞台(1979年)を見て確信したのである。

「玉さま」は、僕と同じ昭和25年生まれ。彼の笑顔、若かったなぁ。そして僕も若かったのだ。汗笑)

 

で、なぜ「玉さま」かとなるわけだが、大河ドラマでの「正親町天皇」役として出演しているからだ。なんでもテレビドラマは初という。主人公の光秀とのやりとりに興味があった。

優美で、マジカルでミステリアスな坂東玉三郎 ———か 。視聴者から「神キャスティング」との声も上がっているようだ。なるほど。

戦が日常だった時代、どんな大名も常に自己矛盾、自己否定の連鎖にあって、そんな世の中での正親町天皇のお気持ちや如何に、である。

 

それにしても光秀の「天がしもしる」 なのだ。

「天がしもしる」の根本のコトバは『古事記』にある歴代天皇の「天の下治らしめしき」だ。明らかに天皇親政への回帰を唱ったのが光秀の発句なのである。

「本能寺の変」は義挙だった、との先輩の意見を熱烈に支持したい。

 

令和三年一月八日

淺岡敬史

 

<秀明さん>
 

 

林住期

寺友の秀明さんは、ごくごく普通のお勤めの方だが、仏教はハンパじゃない。
学生時代の登山部で度胸を我がものに。真冬のオホーツクの流氷から滑落して海に ———— という経験などなどもあり、現在は母校登山部の監督でもある。とても残念ながら裸体はお披露目いただいていないが、おそらく金剛力士像ばりの筋骨隆々かも知れないな。

彼は公私が統一された肉体派の仏教徒だ。

 

お経も漢語、梵語ではなく、パーリ語なのである。「南伝上座部仏教」云々の経典で使用される言語だが、ま、そのあたりは難解なのでスルーしよう。

正月元旦六時から鐘つきを撮った。昨年だったら除夜の鐘の流れで境内はこの時間でも賑やかだが、さすがに今年は誰一人いなかった。

 

 

彼から年賀状を手渡しでいただいたが、林住期 との覚悟も書かれていた。聞くと、400坪の竹林をすでに確保しており、自力で御行屋を建てるという。

設計・図面はもちろん「方丈庵」そのものなのだ。

 

淺岡敬史

 

 

仏印、どちらの牛が幸せか。

——— 夏といってもさすがにアルプスの麓とあって、ちりりとした風が冷たく、カラン、カランとカウベルの澄んだ音とゆったりと牧草を食む牛たち。———とかつて書いたことがあった。隣の編集者は「こんな環境で育って幸せそう。」と目を細めていた。

 

でも天寿を全うできない動物は彼ら家畜たちだ。かたや道端でウロウロする薄汚れた印度の牛たち。

さてさて、僕が牛だったら、どちらを選ぶだろうか。

 

令和三年正月元旦

淺岡敬史

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