雑記帳 夏の仕事場のロフトを整理してたら高校時代から始まって、将来に向けての迷路のような妄想地図が雑然と転がりだした。 退路を断つような勇ましい箇所も随所にあり、悩める姿を隠すために妙に明るいタッチでも綴っていた。
昭和五十年の「太陽」をボロボロになるまで眺めていたようだ。 アッシジのヘアピンカーブの裏道の写真に憧れ、何度も通った。 安岡章太郎さんの「ヨーロッパやきもの旅行」は、よく引用させて戴いたが、なによりも「陶工」への視線などは、とても勉強になった。 思えば彼のリズムに合わせて、その数年後にレンズを向けていたのかもしれない。 令和六年七月二十二日
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「ハウ メニー タイムス ユア ライフ」 もう、40年以上前の旅だったろうか。はじめて訪れたバンコクで最初にレンズを向けたのは少年僧だった。彼は数度のシャッター音の返礼で「ハウ メニー タイムス ユア ライフ」と。しかもここは「暁の寺」。二十歳に熟読、精読した「豊饒の海」の第三巻のステージだ。今でも学生時代の仲間と会うと、バンコクと云えば「ジン ジャン、ジン ジャン」と相成る。(詳細はネット検索すべしだね。) 五十数年前と現在、そして未来が見事な直線を描いた。 なるほど、輪廻転生か。
この少年僧の両腕にタイ文字のお経の刺青がうっすらと。 「お経を覚えらず、いつも老師に怒られるので・・・・・」 旅の醍醐味って、地元ではごくごく普通の光景を撮ることだ、と実感。
それにしても大亜細亜の混沌って、凄いな。(大昔の連載ページをテーブルいっぱいに広げて)
令和六年六月三日 |
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