淺岡敬史

 

はやくも福は内

出刃包丁でもノコギリでも動じることがない鏡餅の外皮。寺友の仏師のノミでもガンとして、その体型を崩さないのだ。で、きれいさっぱり還俗した旧坊さまのお知恵拝借となった。彼は京都の名刹で三百コほどの鏡餅と格闘していたのだ。

「餅の表面に水を少々。あとは五分ほどチン。ぬるま湯のなかで、指先で簡単に分けられる。」とのこと。確かに突き立ての餅になった。餅はつらつら眠っていたのではなく、火のでるような活動をしていたのだろうな。

 

揚げ餅を口のなかでコロコロさせながら、きな粉と黒蜜のハーモニーを頭に浮かべている。

チンする前に、その造形をかつての イガグリ 撮りと相成った。

屹立した仏塔のようだった。

節分前に「福は内」か。

 

 

令和三年一月二十日

淺岡敬史

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淺岡敬史

 

淺岡敬史

 

自家薬籠

そろそろ雪が欲しいな、と思っていたら降った。もちろん雪害で大変な方たちもいるが、ここは、ま、ご勘弁。ある人にとっては正義だが、ある人にとっては害になることはままあることだし・・・・・

雪ダルマと熱燗。

酔うとしゃべりが生きてくるのが楽しいが、雪ダルマも適度に反応してくれてるようだ。
屁理屈愛好家には止められない時間がはじまるのだが、英霊の前ではさすがに大人しくなる。

 

ある本で、「小さな暮らし」という世界を垣間見たが、ここ三十年の僕の暮らしぶりと重なった。

自家薬籠という便利な処方箋は、収入減の昨今にとっては、有り難い妙薬なのである。

ところで、虎と寅、龍と竜。

ま、いっか。

 

令和三年一月十一日

淺岡敬史

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一器三様そして斜め立ち

原理原則もたいせつだが、その方程式から少し外れたところにあるのが「自在」ではないだろうか。

豚児のアメリカ時代に使っていた丼が割れたので金継ぎし、手火箸となった。で、餅、ホタルイカなども焼くのだ。鉄瓶で熱燗で呑ることもある。

そう、一器三様なのである。コーヒーカップ、独り膳、茶香炉、タートルネックセーター、茶巾などなど別の用途で活用がいろいろあるのだ。

 

元旦の朝六時。
窓を開けたら冷気に襲われたが、熱々の餅を喰いながら斜め立ちの月にレンズを向け初撮りとなった。

 

淺岡敬史

 

一心に剥いた

恒例の某茶室の庭に実る夏ミカン採りは、とりあえず五十コほど。寝かせて酸を抜き初夏に食べるのが普通らしいが、そこまで待てない。果皮はとても厚く薄皮(ジョウノウ膜というらしい)も分厚いので厄介である。

剥く、剥く、剥いた三が日だった。

 

で、今年はジュースにした。薄皮を剥かないでそのままジュースにした方が、酸味は強烈だが一気呑みをすると美味かったな。柑橘系の重量感ある酸味って不思議だった。牛乳で少し割ったら、なんとなく高級感が出た。黒蜜との相性もよかった。

庭には、まだ100コ以上はあり、小正月までは、皮剥きがつづきそうだ。

 

淺岡敬史

令和四年正月四日

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