おとといの、と、云うことでドングリ集めは見事挫折。
ぼんやりとイガグリ コレクションと相成ったのである。遮光器土偶の目ン玉と重なった

 

イガグリくん

格闘漫画・スポーツ漫画の原点でもある『イガグリくん』。

——— 日本では終戦後、柔剣道や時代劇を描く作品がGHQによって禁じられており、サンフランシスコ平和条約締結まではどの作家もこのジャンルの作品を執筆できなかった。『イガグリくん』はその解禁第一号と言える漫画で、この作品のヒットを皮切りとして他の漫画誌でも柔剣道や時代劇ジャンルの作品が相次いで始められた。——— (Wikipedia)

 

背比べ

かのホスト クラブ自慢のシャンパン タワーに負けてはおらん、ということで雨のドングリ タワーを撮った。
でも、それでも合点が往かない。

約15分は苦闘したろうか。
イガイガ振りが絶妙な安定性を保ち、大いに助けてくれた。イガグリが天を仰いでいたぞ。

 

令和二年九月二十日

 

 

 

ドングリ笑う

空腹で里山、村、町に下りてくる熊んこのために、一時行政がドングリを集落から集め、山に運んでいた報道記事があったが、最近ではどうなっているのだろう。もともと熊の住むところに僕らが来たのだから、「大家さん」に義理はあるだろうな。

 

で、早朝5000歩の道すがらドングリを集めることを「責務」としたのである。

 

友人にその旨を伝えたら、寺田虎彦のエッセイ「どんぐり」とバカ売れした絵本「木を植えた男」のことを教えてくれた。
なるほど、東西問わず、ドングリに無意識の感情に届くようなとんでもないものが宿していることが分かった。
で、ドングリに乞うのである。人生、何たるもんぞ、と。

 

で、で、この記事を書いていたら、「ドングリを収集し熊に与える行為」について」が目がとまり、ついでに目がテンになった。訴求力がある内容だけに、ありゃぁ、だな、

 

レンズ向こうで、ドングリが笑っていたようだ。

 

 

令和二年九月十七日

 

 

 

カンカン焼き

流通の発達か。二日後には近海が山奥に届く。
で、缶のままカセットコンロへ。蓋から湯気が出始めたころが喰い頃と取説に。数分後に別世界が展開したのである。

若い頃、スキー仲間とよく牡蛎を喰った。裏には、およそ2000コ以上の牡蛎の殻が埋まっているだろう。数百年後の地質学者が、此処を調査したら「浅間北麓は海だった。」と報告書を提出するかも 汗笑)

 

流通の発達が武漢疫病によって、サプライチェーンがらみで国際政治まで膨張してしまった。

地球規模で悶々とした日々は続く。

チグリス・ユーフラテス文明、いや、サハラ砂漠が緑でおおわれたいたころの地球は、

人類のカミガミは「ヤオヨロズ」だったのだ。

 

令和二年八月十二日

 

 

 

我が家を旅する

自粛、自粛、自粛と脅迫されるような日常を、ある会報誌に 「家を旅する」と題して寄稿した。

で、夏の仕事場を旅をして一ヵ月。ぼろぼろになった雑巾をしばし見つめていた。こいつらにも意地と誇りはあるのだろう、なんてちと感傷的にもなったな。針供養、茶筅供養などのセレモニーに参加したことがあるが、雑巾供養があってもいいだろう。

漂白をしっかりして純白になったところで、さて、何を拭いて棄てようかな。

 

立ち止まる旅を楽しんでいたが、駆け足の旅で大失敗。風呂場に飾ってあったビーグル犬コレクションの中で、もっとも思い出がある4体のうち、ふたつのフィギリン (ノーマン・ロックウエル) を壊してしまった。一瞬、こっちも壊れそうになったな。修復は終了したが、ノーマン・ロックウエルのことを新たに知ったり、彼の画集をボストンの本屋で眺めていた40年近く前のことを思い出したり、風呂場だけでも満足な旅が出来た。

 

キッチンではこれまた大切に使っていたピッチャーを割ったのだ。修復できるものは金継ぎで復活するが、このピッチャーだけは不可。

でも棄てられないのだ。未練たっぷりなのが厄介だな。

まるで自分を眺めているようだ。

 

 

バースデー・ビンテージ

モスクワで買った1950年作の旧東ドイツの名窯の小皿。これも割った。そもそもワン公のエサ容れにしようとした不遜な考えがよくなかったのか。破損した形をそのままに残して玄関先に飾ったら、カッコいいかもな。

 

 

令和二年八月八日

 

 令和二年一月から七月 「最近の事 」

令和元年 「最近の事 」

旧 「最近の事 」

 


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