「もう12月」と先月更新しましたら、師走が迫ってます。
  30代ころまで年の瀬は、「来年こそは‥‥‥」と一瞬でも妄想しましたが、 このところ「年末年始だけは‥‥‥」と抱負を一人ささやいております。

 抱負はさておき、最近はキッチン用品に夢中です。黒い琺瑯やかん、スライサー、フィスラーのソースパンは購入しましたが、中身が見えるガラス蓋の圧力鍋も欲しいです。焼き豚を究めたいところです。
 


 英国の名窯ブランドの撮影では、ちょこっとジンを呑みながら‥‥‥(制作ディレクター承認です。) 
  生ライムがなかったのが悔やまれました。

 それにしても1灯ライティングでデジカメはよく撮ってくれます。造形の歪みや傾きなどの微調整はMacクンのお世話になりました。
 御両機とも、来年もよろしくお願いいたします。
 

平成一八年 十二月二九日

 

 


 
  もう12月。
  昨年の11月、12月は僕の身辺は驚天動地そのものでした。とくに12月10日、知己の自裁は今も胸底でうごめいております。
  生死という根元的な命題が日常的あった1年間でした。
 浅間山の洞では彼の遺墨がいつも僕を待ってます。
 
 朝陽
を拝める家にきて1ヵ月がすぎました。同じテーブルの位置から月も眺めることができるのが唯一最大の自慢です。

  ヘキスト窯の作品撮影で久しぶりに深夜までレンズをのぞいてました。この窯はドイツではマイセンにつぎ歴史が古く、かのニーチェも好んだ自然崇拝のモチーフで知られる名窯。
  今年中に残り数十点の名品と対峙しつつ、陶工たちの息吹をカメラにおさめます。陶工が残した手垢さえも撮影対象になっているこの頃です。

 

 
 僕が毎年WEB制作しているキリン ビヤマグ コレクション、今年も1週間ほどで完売。ワトーの緑銅色が見事に復権したマイセン窯の逸品です。
  うーん、この勢い、来年こそはあやかりたいですね。

平成一八年 十一月三十日

 

 


 

 この春に落成した軽井沢のD邸でお茶会が開かれました。3階をぶち抜いたリビング、眩しい白壁、シノワズリな優美な調度品も圧巻でしたが、ご亭主の器へのこだわりには敬服しました。

 茶会の夜、ご主人がLAから帰国。土産は高台の塗盆と銀盆でした。アメリカ土産がアジア趣味というのが、出張のすべてを語っているようでした。

 その器を茶会に活かしたのが、ご存じ、齋藤宗厚先生。抹茶をその銀盆に載せてのサービス。茶碗はカフェ・オ・レ用の洋食器でした。

 畳立礼は洋館にも見事に溶け込み、風があたりで遊んでいるような爽やかな1日でした。

 ベランダへ続くガラスドアの部分、つまり窓ガラス5枚分が夜には大スクリーンになりました。上質なオーディオとともに映し出されたご主人のDVDコレクションは圧巻。 

 夜は世界遺産の世界をじっくり鑑賞。僕が憧れていた巨大な画面が、眼前に広がっておりました。D家でも犬はいたのですが、ちと遠慮して我がワン公はベランダで惰眠をむさぼっておりました。

 畳立礼は移動式茶室でもあるので、当然我が洞でもお茶を愉しみました。ただ素材が木なので、重量はそれなりです。運搬もかさばることもあり、現在は改良型の畳立礼を考案中。

 我がお月見台へ運ぶのも一苦労です。まず素材ですが強化段ボールというのがあるらしいです。パリで活躍する日本人建築家が、段ボールで教会、美術館などを建てというテレビ番組を見ました。

 そう、畳立礼の素材は紙で充分なのです。その「箱」が折りたたみになれば、さらに運搬も楽になるでしょうね。
  「粋と野暮の真ん中を往く」が齋藤宗厚先生のポリシーですが、「都会と田舎の真ん中を往く」が僕が設計した老後です。
  いや「茶と酒の真ん中‥‥‥」でしょうか。

平成一八年 十月十六日

 

 


 木々の濃緑をたたえつつも、もう初秋の風が吹きはじめた浅間山麓。けさの外気は16度。ワン公ネギも背をまるめています。
  北軽井沢の「美土里の洞」は新作ぞろい。点描練上の大鉢がうつくしい陰影を創っていました。「器のなかに宇宙が在る」と謳った茶人がおりましたが、こんかいの浅間山麓では、その器の東西を語ろうという企画が一宮庵から発信されました。

 きっかけは中軽井沢・D家邸の新築祝い。僕もワン公といっしょに一度訪ねましたが、高原の桃源郷そのものでした。
 D家邸で一宮庵の齋藤宗厚先生が東の器を語り、僕はわが洞で西の器をスライドショーを交えてお話するといった主旨。
 詳細は終了の後、追ってお知らせいたします。

ボクの趣味で背景をチョコッとだけ変えさせていただきまいした。

 


 齋藤宗厚先生のご子息夫妻からの差しいれです。おどろいたのは写真左の長さ30センチほどのミソおにぎり。茶懐石の粋はその仕草の合理性、食材の整合性ともいわれますが、まさに超合理。食べる人の腹ぐあいによって、分量は自分で決めよ、ということなのです。
  圧巻はこの長ニギリをバナナのように一本かじりのご子息はでした。

 蒸し鶏も美味でしたが、ジャガイモの皮ぶぶんを炒ったツマミは絶品。夫人お手製のアーモンドが入ったマフィンは、あたためた牛乳といっしょにいただきました。英国の偉大な田舎、コッツウォルドを思い出しました。

 


 タヌキを喰ったぁ───

 毎年この時期にいただくのは陶芸家の山口さんの果実酒。ラベルには手書きで「枯立ち酒」(写真右)。ほんらいカラタチは枳殻、枸橘と書くようですが、枯立ちのほうが心地よく酔いそうです。

 山口さんは土と遊ぶ人だけでなく、じつは司祭でもあったのです。車にひかれ無念にも昇天したタヌキの供養をしようというのです。つまり供養とはまるごと喰うことだったのです。

 儀式はポンポコと湧いたお湯ざらいからはじまり、ポンポンと沸騰した土鍋へ厳粛にその躯を沈め、つづいてミソ、ネギ、ショウガ、ダイコンも。
  あっ、焼きドーフ、あってもよかったかな、とだれかが沈黙をやぶりましたが、僕は心のなかで「鍋の中心でタヌキが叫ぶっ」とささやきました。
 
  司祭がおもむろに肉塊を口にはこびました。
 「ウム、やわらかい。思ったほど臭みがないな、うん。」慈愛を肩のあたりに漂わせて、ふたたび鍋のあたりを一瞥。それが合図のように、参加者の箸は鍋にむかいました。

 食後の感想。
 20年ほど前、信州高山温泉郷の「藤井荘」でタヌキを食べたことはありましたが、完璧に臭みをとっていたので、何の肉かわからずミソダレの味しか覚えていません。
 今回は臭みが多少残っていましたが、味よりも供養という儀式に思いをはべらせ、そして残った毛皮のことで頭がいっぱいでした。浅間山麓の冬は氷点下15度ほどにもなります。ワン公のベットにタヌ公の遺物があったら‥‥‥とまじめに考えておりました。
  ポンポコ、ポンポンの日々でした。

平成一八年 八月二七日

 

 


 桜が散ったころ、オクサンの親父さんが緊急入院。
 剣道五段が自慢で、なによりも頑健な肉体と精神を誇っていたのだから、入院という出来事は驚天動地の極みだったでしょう。剣の理法を自得せんがため、80歳ちかくまで道場に通い、現役の高校生剣士に稽古をつけていました。

 入院先は我が家から徒歩で行ける東京逓信病院でしたので、毎日、激励に伺いました。O医師執刀による手術は成功しましたが、自信を失い意気消沈した親父さんを根気強く元気づけたのが、末っ子でもある我がオクサンだったのです。
 
 病院食はさておき、持ち込んだトロロ蕎を目を細めて食していた親父さんの頬が、夕陽を浴びて橙色に染まっていました。

 半ば強引に退院し、今はオクサンの懸命な介護のもと、食欲も出て回復の兆しが見えてきました。

 バリアフリーやトイレ、風呂修理、ついでにキッチン全取り替えと僕のスペース確保などで2カ月が過ぎました。

あらためて「老い」を考えるこのごろです。

 


 25年も続いているキリン ビヤマグ コレクションの新作はマイセンの「ワトーの花」。原画は18世紀中頃〜 後半の作です。優美な宮廷装飾の主役だったロココ様式の代表的作品で、「雅びな宴」の画家と呼ばれたワトー(Antoine Watteau)やブーシェによる銅版画の下絵の一部を現代の絵付師が復刻する逸品です。
 
 厳格なバロックが飽きられ装飾的で甘美なロココ時代はその主題は歴史画や宗教画から、目を覆いたくなるような男女の愛のかけひきなどの風俗画が宮廷でも興味の対象となってゆきました。

バロックからロココではありませんが、「定規で測ったような人生だった。適当に遊ぶことを忘れてはいけない。」と厳格な義父が病床で僕の目を見て語ったのです。

 いやいや、遊び過ぎて厳しさから逃れていたのが僕の人生でしたから、強烈なアイロニーを喰らった病室での一場面でした。思えば僕の好きな縄文火焔土器は、はるか昔のロココで祭祀用とはいえ遊び心の造形だったのではないでしょうか。


平成一八年 六月二二日

 


 世は豪華なGWが始まったらしいですね。で、こちらは例年通り、我が家でグズグズ、ダラダラ三昧しかないと思っていた矢先、友人からメールが届きました。内容は勝ち誇ったような言葉がチラチラ。ハワイからの打電でした。
  昔は他人の幸せも、我が喜びでしたが‥‥‥それにしても素敵なオクサンとヴァカンス、羨ましい限りです。

 ハワイは一度だけ行ったことがあります。ハワイ島に約2週間滞在しましたが、僕は正直いって学生時代から馴染んだ新島のほうが魅力的に思いました。ハワイには「くさや」がないだけならまだしも、欧米化された土着が惨めに感じたからです。
  カメハメハ大王の無念‥‥‥でしょうか。

 


 ハワイつながりでの上の写真は、20年前に撮ったものですが、先日、某誌に発表しました。念のため、ハワイ在住の知人に桟橋名やポイントなど写真を確認してもらいましたが、「魚たちの顔は今も同じよ」という頼もしい連絡でした。

 続いてのメールは大瀬崎への日帰りダイビングのお誘い。「今、ウミウシが可愛い」につられ行ってきました。水中カメラのニコノスはとうに手放しており、とりあえず「Autoboy D5」でウミウシを狙いましたが‥‥‥。
 ウミウシは 貝殻を持たない貝だけに、動作が自由闊達。なんだか先の夫妻と同じくこちらも羨ましく思いました。

  鎧、兜を取り払った武将たちも、こんな感じで和んでいたのでしょうかしらん。ところで僕にとって貝殻のようなものって何なのか、ついつい考えてしまいましたね。
 実はウミウシを前に僕のカメラが浸水事故。帰宅して説明書を読むと、「水深は3メートルまで」と書いてありました。少しへこんでいるこの頃です。 

 草津の陶芸家山口洋史さんのWEBサイトがオープンしました。新作も北軽のギャラリーで展示され、GW明けには是非伺いたいです。

 

平成一八年 四月三十日

 


職人たち

 
  全国の公立学校教職員に配る冊子の連載を担当してきましたが、今年も「ヨーロッパの職人たち」が続くことになりました。
  話が飛躍しますが、教育基本法は悪法のひとつと学生時代から思っていましたが、やはり現場の先生方の意識も大切です。

 今、先生方に求められているのは、「制作(生徒)を通して己を磨き、己を磨くことによって作品(教育)の完成度を追求していく」という職人魂そのものではないでしょうか。
  職人たちが残した手垢さえ、僕にとっては作品なのです。

 


 今年は例年より桜の咲きっぷりが早いですね。恒例の外濠花見は今年は中止。畏友が参加できないからです。で、今宵は一人花見となりました。相伴するのはワン公と肴のアンコウ。
  K氏が絵付した器だけが、花を添えてくてました。

杯

平成一八年 三月二九日

 

 


 今年も一宮庵の初釜。「気の元が元気なのね。根性をつけたけりゃ、ゴボウなどの根菜類、そう、旬の食材にはカミガミが宿っているのです。健康と幸せを一緒に手招きしましょう。あなたの生活にお役に立ちますよう・・・」と斎藤宗厚さんはいつもお元気。
 よし、今年も頑張ろうっと。

 


  スカパーの桜チャンネルで1時間の番組をつくって戴きました。
  テーマは25年間撮り続けている「ヨーロッパ陶磁の旅」だったので気は楽でしたが、消化不良もありました。 以前25回にわけて同じような番組に参画しましたが、こちらも結果は同じ。
 我が家でおしゃべりをチェックしてても家族は誰も見てもくれません。そばで一緒に熱くテレビ画面に向かっていたのがワン公だけでした。
 

 やはりカメラマンは現場が一番。疲労感が残っても、現場、現場ですね。 ここ数年、取材回数もめっきり減り、Mac上で憂さを晴らしているようでもあります。

 Mac上といえば、某大手通信社が大がかりな洋食器のWEBサイトを構築するようです。見事な造形を食卓で愉しむ───そんな歓びをみなさまにお伝えしたいものです。


平成一八年 二月八日



 年が明けて4日目。古い御神札を亀岡八幡宮でお炊き上げいただきました。家内安全を祈り笠間神社で正式参拝を重ねた昨年でしたが、年末にかけて僕の最も身近なところで「不幸」が続きました。

  そのダメージをまだ引きずっているのが12月10日の「できごと」でした。でも「幸」をふくめ「不幸」って何ものなんでしょうかね。
 燃える御神札を見つめながら、「幸、不幸」そして絶対当為としての「生と死」を考えていました。

 


 今年のはじまりも、一宮庵のおせちでした。 齋藤宗厚さんの吟味に吟味を重ねた妙味が、 舌の分厚い苔を落としてくれました。
 我がワン公が大好きだった三浦重周さんと一緒に戴きたかったおせちです。


平成一八年 一月六日

 



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