淺岡敬史淺岡敬史淺岡敬史淺岡敬史 麝香

 


 朝メシ評論家

 某企業に提灯記事を提供。この写真も何度露出したろうか。また書く内容もほとんど同じだ。ただ自分の中でモニタに向かって類推を重ね、また重ねるのは、なかなか気持ちがよい。

 この写真は「グラタンのふるさと」を主題とした取材だったが、レストランではなく「オレだけの場所」での朝メシと相成った。もちろん給仕クンがテーブルの移動などの厄介を引き受けるのだけど、ここは寸志の効力だ。
 翌日からすでに「オレだけの場所」が・・・・・。

 寸志、寸志の連続なのであるが、「朝メシ評論家」たるの必要経費なのであった。

 結論は、ここで朝粥を喰いたかった。汗笑)

 以下は他の国、ホテルでの朝メシだ。シャンパーニュなど抜栓してナマイキな頃だったようだ。

平成三十年十二月十九日

 

輪郭の飾り

 


 淺岡敬史
 「 任侠 」を考えた
 
 ここにきて、「唐獅子牡丹」なのである。

 「昇り龍」なのである。

さらにさらに、「緋牡丹」なのである。

昭和四十五年十一月二十五日、日本が世界に誇る知性がレンタカーで歴史的大先達として市ヶ谷台に向かった車中で歌ったのが、「唐獅子牡丹」だった。(東京地裁 公判記録より)

歌詞を、よくよく考えた。

1 義理と人情を 秤(はかり)にかけりゃ
  義理が重たい 男の世界
  幼なじみの 観音様にゃ
  俺の心は お見通し
  背中(せな)で 吠えてる
  唐獅子牡丹(からじしぼたん)

2 親の意見を 承知ですねて
  曲がりくねった 六区の風よ
  つもり重ねた 不孝のかずを
  なんと詫びよか おふくろに
  背中で泣いてる 唐獅子牡丹

3 おぼろ月でも 隅田の水に
  昔ながらの 濁らぬ光
  やがて夜明けの 来るそれまでは
  意地でささえる 夢一つ
  背中で呼んでる 唐獅子牡丹

 

平成三十年十一月二十五日

 

輪郭の飾り

 


 大聖護国寺
 若き仏師
 
 もう50年近く前だろうか。
 学生のころ、京都の大仏師、松久朋琳師にお手紙を書き撮影の許可を戴いたのが昨日のようだ。一学生の希望を簡単に受け入れて戴いたのは、今顧見ると師の大きい魂の大振舞いでなのであった。

 松久朋琳師は、「一人一仏」を思い70年余り彫りつづけられた。
 「魂」も伝承されている。このページの3月にも紹介しているが、若き仏師、米澤さんも懸命に彫りつづけているのだ。
 清風に浴するような彼の手捌き、物腰に惚れ込み、細やかだが 作品集 をプレゼントすることにした。

 沈黙の世界のはりつめた美しさが、彼の作品なのだ。

平成三十年十月二十八日

 

輪郭の飾り

 


 淺岡敬史
 オペラ「金閣寺」
 
 この夏は、朝5時に起きるとワーグナーを。じつに20年振りほどだ。その流れなのか三島由紀夫文学館から写真のオファーのメールが届いた。40年以上前にベルリンで撮ったオペラ「金閣寺」の写真展示とのことだった。

 この時、いろいろアテンドしてくれたのがドイツ通でもあった学生時代の友人だった。ドレスリハーサルのみに撮影許可が下りたが、その時、彼はいつも作曲の黛敏郎先生そして僕の隣りにいた。
 
 東京に戻る直前に後輩から訃報が入った。その彼が逝ったという。

 彼に捧げるべく、写真をまとめた

平成三十年十月三日

 

輪郭の飾り

 

 


 淺岡敬史
 今年は少し早めに浅間山麓の仕事場に。築30年も経つとあちこちと不具合が出てくるもんだが、とくに年中野ざらしの「お月見台」と称する所は厄介だ。

 天板だけは止む得ず風情がないリプラ(電化製品・車部材のプラ廃棄物が主原料の100%リサイクル品)に変えたが、ここは諸般の事情なのである。
 ま、佛さまに身勝手ながらおすがりするしかないようだ。

平成三十年八月四日

 

輪郭の飾り


 淺岡敬史
 賓頭盧主義を学ぶ その弐 ――――

 賓頭盧さんの大垂水を夏仕様にして明日、お供えしよう。炭酸酒と云うらしいが、いつ頃から日本酒に炭酸を入れるようになったのだろうか。でも確かに涼しげなボトリングだな。

 ついでに思うのは「冷酒」と扱われるようになったのも、不可解だな。せっかくの香りがどっかにいっちゃうよ。

平成三十年七月十七日

 

輪郭の飾り

 


 淺岡敬史
 洞窟潜水
 
 もう35年ほど前だろうか。与那国でプロのダイバー3人が洞窟の奥で死亡した。そして、僕は水深30メートルの海へカメラを持ってその洞窟まで潜った。

 さすがに与那国の海中は透視度40メートルとあまりの美しさに観光気分もあったが、世界的ニュースにもなったタイでの洞窟救出作戦での透視度はなんと10センチという。
 作戦にあたった方々の恐怖心、ご苦労はいかほどであったろうか。
 実際、一名の屈強な潜水士が亡くなられている。
 
 月面着陸もそうだが、人ってどうして往ってはいけない所に行くのだろうか。
 自然を科学するという「暴挙」は、いつまで続くのだろう。

平成三十年七月十二日

 

輪郭の飾り

 


 淺岡敬史
 レモンに一喜一憂 ――――
 
 ここ数年、ベランダのレモンが気になっている。昨年は3コ穫れたが、今年は10コの勢いである。僅か数十センチの高さで枝振りもかなり貧弱だが、10コなんてあり得るのだろうか。

 ここはロマネコンティの畑に習って、大胆な剪定が必要なのか。三枚の写真は今朝撮ったが、その成長がバラバラのにも驚く。同じ環境なのに、こうも違うのだろうか。日当たりだけだろうか。
 収穫は11月の中旬あたりかな。

平成三十年七月八日

 

輪郭の飾り

 


 淺岡敬史
 賓頭盧主義を学ぶ ――――

 お釈迦さまに破門された賓頭盧さん。
 史実では、十六羅漢の一人でその「神通力」はお釈迦さまも認めると「解説書」にある。
 我が家には、四十年前に中国で求めた賓頭盧さんの拓本もあるが、あらためて、「神通力」にあやかりたいのである。

 破門のわけは、「酒」だった。
 で、勢い余って、金沢の銘酒に五色のエチケを自前で創った。

 お釈迦さま、いかがでしょうか。。

平成三十年六月二十三日

 

輪郭の飾り

 

 


 淺岡敬史
 「ぼんやり」に潜む謎の脳活動 ――――

 最新の脳科学で「ぼんやりと過ごす」ことの重要性が浮かび上がってきた。脳の消費エネルギーのうち、意識的な活動に費やされるのはごくわずか。大半は「ぼんやり」だったと結論づけたから興味をひいた。ぼんやりとしているときには脳内にあるネットワークが生まれていて、「自己認識」「記憶」「情報の統合」など重要な機能を担っているらしい。じつはこのネットワークが、「認知症」などさまざまな病気との関連もわかってきたようだ。

 ただ、「ぼんやり」の定義が厄介だ。

平成三十年六月十日

 

輪郭の飾り


 淺岡敬史
 5年前、N元首相の手を撮った。
 現役時代はさておき、歴史を深く刻んだその手は、善悪、賛否は問わずに「政治」そのものなのかも知れない。皺そのものが呼吸しているようだった。
 
 今朝の新聞報道では、百歳になられたとの記事だった。
 ゆっくりお休みになって戴きたい。

淺岡敬史

 事務所には「ロン・ヤス」関係の展示などがいろいろあったが、目をひいたのが、「合掌する土偶」(縄文後期 国宝指定)の復刻された作品だった。
 天の一点を見つめ、力の限り深く祈る様子に思わず心打たれたのが昨日のようだ。この写真を見て、あらためて古代人の思いが、皮膚に食いこんできたのである。

平成三十年五月二十八日

 

輪郭の飾り

 


 淺岡敬史
 毎朝通る垣根の上に、もう10日ほど。
 この主もまた、僕に妄想に近い物語を提供してくれているのだ。

 そうそう、3年ほど前、黒のピンヒールも片方だけあったな。
 こんな被写体にも得難い気迫と志を覚えるのだから、僕もヤキがまわったのだろうか。

平成三十年五月二十三日

 

輪郭の飾り


 淺岡敬史
 フランス人はシーツの皺さえもアートに仕上げるが、我がニッポン人は、余り和紙を利用して商品を創るのだ。

 或る工芸家の展覧会で、端午の節句用祝儀袋を所望。義理の義理で親戚の子供用に用意したまではいいが、はてさて、いかほど包もうかで難儀してる。
 この年になってもろもろの難儀というやっかいな事が、まだまだ続きそうだ。

平成三十年五月四日

 

輪郭の飾り

 


 淺岡敬史
 夢想にお付き合いを・・・・・。
 寺友のS氏から「しょうゆ麹」なるものを教わった。彼は雑煮の出汁( + 発酵した唐辛子も半さじ)として毎朝使ってるとのこと。で、彼の指示とおりに酒麹200グラムと醤油200ccを毎朝3週間ほどかき混ぜた。
 味は思ったほどではないが、高貴な精神が宿っているように思えたから不思議だ。
 欲望が少ない「味」だ―――という夢想に遊ぶのもいいね。
 でもでも、合点が往かなかったので、グリーンペッパーを一振りしたら、これが化けちゃって美味になったよ。

平成三十年四月三十日

 

輪郭の飾り

 


 淺岡敬史
 ひょんなきっかけで、15年前に撮影担当した「遊就館の世界」で掲載したカットをデジタルデータ化し、某会報誌に2点のキャプションを付けて提供した。

 人間魚雷であった「回天一型」は遊就館の大展示室に堂々と横たわってました。じぃーと見入って、しばらく動かなかった若者。

 沖縄で戦死した息子に捧げられた花嫁人形。「日本男子として産まれ、妻も娶らず逝ってしまった貴殿を想うと涙新たに胸がつまります。今日ここに日本一美しい花嫁の桜子さんを貴殿に捧げます。」(原文ママ)と手紙が添えられておりました。

 「足を知る」を、もっともっと学ぶべきだね。

平成三十年四月十三日

 

輪郭の飾り

 


 
 有り難や、有り難やの我が家の借景。朝ビータイムが、唯一最大の楽しみになって久しいが、15分だけの幸せなのかな・・・・・。

平成三十年三月二十七日

輪郭の飾り

 


 淺岡敬史
 お気に入りのワンショットだ。
 パンダ生息地は、チベットから武力をもって強制的に四川省に編入されたことをほとんど知らされていない。日本全国にいるパンダは12頭。毎年リース料として上野公園の場合、雄雌一対で約1億円をアチラ様に支払っているのだ。
 合点が往かない話だ。

平成三十年三月二十一日

輪郭の飾り

 


 淺岡敬史
 淺岡敬史

 もう50年近く前になるだろうか。京都の松久朋琳仏師にお手紙を書いて撮影許可を戴いたことがあった。とても気さくな方だった記憶があり、僕はまだ10代だったからなのか、図々しく無遠慮にレンズを向けていた。残念ながらその写真、ネガは見あたらないが、当時より仏師という世界にとても興味があった。

 この度、大聖護国寺さまのご縁で、三十六童子の修復の模様を撮影できる好機を戴いた。

 まだ若い仏師の米澤さんではあったが、素材を彫る時の音にグッときた。この世界も熟練という時間の流れも大切だろうが、はやりセンスだと思う。
 技術は後からセンスに向かって必死に追っかけてくるだろう。

 今回は「音」を撮った。(孤嶋由昌師の吉慶漢語が流れてます。)

平成三十年三月十日

 

輪郭の飾り


 q
 なるほど、春の雨かぁ。
「春の雨」の名前をこう呼びたいな。

 春雨(しゅんう)甘雨(かんう)紅雨(こうう)
 雪解雨(ゆきげあめ)菜花雨(さいかう)

 猫毛雨っていう呼び名もあるらしい。

 豊穣の日本列島、萬歳だな。
 即買図書ですな。『雨の名前』高橋順子

 

平成三十年三月六日

輪郭の飾り

 

 

 q
 アラレを仕入れるのが億劫で、10年前に撮った雛サマだ。
 ま、いっか。
 さて御神酒だが、柚子焼酎を今撮ったぜ。

平成三十年三月二日

 

 q
 「K姉妹」繋がりなのか、知人が「NUDE」展を企画した。送られたきたチラシを見て、思わずクレームの文言が浮かんだ。
 「君はロダンを知らないな。」と。
  何故、パリのロダン美術館の入口にド迫力であたりを圧っし、しかも当然のように「鎮座」する作品をカバー写真に選ばなかったのか、とね。(アンティーブのピカソ美術館も同じ配列だよ。)

 腰が引けた「NUDE」展に怒りを込めて、プ先生の「饗宴」を、再々読中だ。

平成三十年二月二十八日

 

輪郭の飾り

 


 q
 超々薄氷の下に武士が嫌ったらしい落ち椿を強引に。
 落ちた首かぁ。うん、じつに美しいではないか。


輪郭の飾り

 q
 しずしずとレンズを向けた落ち椿だが、ここ一ヶ月、境内からの帰り道に待ってくれているのが「K姉妹」なのである。写真集がけっこう売れてるらしい。
 羨ましいな。汗笑)

平成三十年二月二十五日

輪郭の飾り

 


 q
 もう10年以上前の写真だな。この親父さまを中心に某誌で葉巻がらみの4ページを作るのだが、出会った場所がテンプル騎士団埋蔵金を売りにしているホテルだけに多少の「作文」は許されるだろう。
 取材元へ再使用の許可をいただき、はてさて、何を綴ろうか。
 それにしても、親父さま、いい「貌」だな。

平成三十年二月九日


輪郭の飾り

 


 
 或る蕎麦屋で5分ほど睨めっこ。
 仏教用語にある「餓鬼」も「鬼」のジャンルに入るのだろうけど、「畜生」をはじめ人間への戒めというより、都合のいいモノをつくるもんだな。
 仏さまに暇を乞いたい昨今だ。
 ちなみに、ここ10年、我が家では「鬼は内っっっ」「福は外っだ。」汗笑)

平成三十年二月三日


輪郭の飾り

 


淺岡敬史

 
 心打たれた9時。
 800ミリの長玉で撮った。(いわゆる盗み撮りだ。)
 10分ほど眺めてろうか。彼ら10代の若者が、SNSやラインを敬遠(生理的拒否)しているのが、なんとなく理解できたようなワンショットだ。

 世間で云う「リア充」「おともだち」にたいする拒絶なのだろう。寒空の下、彼らは、懸命に砥石で刃物を磨いていたのだ。
 「不便の利」を学んでいるのだろうか。

 「A I を制覇する国が、世界を支配するだろう。」
 と、或る政治家が云ったが、「新・新興宗教でもある技術進歩の代名詞となったスマホだが、「砥石と刃物」と向き合う少年たちに得たいの知れない将来を期待するしかないのだ。

 超進学校に通う彼らと、「悶々」を主題におしゃべりしたいな。

平成三十年一月二十五日


輪郭の飾り

 


淺岡敬史

 
 朝六時の境内。
 今年はじめての薄氷に白湯、そして月。月の下方に暁闇の明星が位置していたが、写真ではちょい無理だったな。
 独りよがりだが、これって十五分間の写真的信仰なんだな。

輪郭の飾り

 

 


淺岡敬史

 
 白菜の漬け物を自力で。赤唐辛子を軽んじたわけではないが、けっこうパワーがあり辛すぎた。
 でも三日ほどで味も落ち着き、フィニッシュの薄口醤油で満足、満足だ。

 暇だぁ ――――。

平成三十年一月十二日

 

輪郭の飾り


淺岡敬史

 撮影メモは2016年11月8日とあった。現役時代を彷彿とさせ、とてもお元気だったのに。311の後に日本一になった時は嬉しかったな。東北復興への大いなる契機だった。

 緩急剛柔、愛された闘将 ――――。
 ありきたりだけど、夢、ありがとう。 合掌。

 

平成三十年一月七日

 

輪郭の飾り

 


淺岡敬史

 淺岡敬史

 明日まで待てず、七草粥を炊いた。
 舌奥の分厚いコケが落ちたような思いだ。毎年、昆布風味なのだけど、今年は塩だけで勝負だ。

 大袈裟なな物言いだが、大宗教の懐の深さを味わったようだ。
 米粒が、折り目正しく胃に落ちてゆくような妙味だった。

 

平成三十年一月六日

 

輪郭の飾り

 


淺岡敬史

 空が高かった今朝の東京。
 外気2度はさすがに寒く震えは止まらないが、窓越しの一服に、思わず目を細めたくなった。
 たくましい老樹の影は、今朝も饒舌だった。

 

平成三十年一月二日

 

輪郭の飾り

 



 

 また年が明けちゃったな。
 
 正月くらいは、お酒は控えたいものだ。この「最近のこと」を始めたのが平成13年だから17年前か。二代目ポチ(18歳没)も元気だったな。さすがにポチ関連以外のリンク切れが多いよ。
 この頃に比べると仕事は激減、つまり収入も超激減。
 なに、減った分、消費しなければいいことだよな、うん。

 そうそう、激増したのは、教養と中性脂肪かな。汗笑)

 

平成三十年一月元旦


輪郭の飾り

 

 


世界の職人篇  世界の陶磁器篇  欧州旅籠篇
クリックしてください